"赤城山に消えた幸" 第2話
けれど同に、どこか切ない気持ちにもなった。妹がに救われたということは、それだけく傷ついていたということでもあったからだ。
その朝、幸は窓のを見た。
空はれていた。
の訪れを告げるきにふさわしい朝だった。
彼女はの夜から用しておいた登に着替えた。リュックサックをけ、筒、替えの靴、タオル、簡単なを確認する。最に携帯話をに取り、源が入っていることを確かめた。
2005当、携帯話は通話とメールが主な能だった。カメラの画質も今ほどよくはない。それでも、での連絡段としては切なものだった。
午6、幸はをた。
集所は、赤の入にある駐だった。
バスを2回乗り継ぎ、駐に到着すると、すでにくの会員が集まっていた。挨拶を交わす声、リュックを背負い直す音、登靴で砂利を踏む音が、朝のたい空気に混ざっていた。
岳会「青峰」は、1990に創設された群馬域のベテラン岳会だった。15の歴史を持ち、正会員だけで30余りが所属していた。
毎3の第1曜にはきをい、1の全な登を祈願する。
それが、青峰のの伝統だった。
会の佐藤が、到着した会員たちを迎えていた。58歳の彼は建設会社の役員を退いた、岳会の活に力を注いでいた。
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穏やかな柄で、会員からの信頼もかった。
しかし、実質に会をかしていたのは別の物だった。
登リーダーの田健。
55歳の田は、青峰の物だった。
20以に登ってきたベテランで、赤のすべてのコースをのひらのようにっていた。登コースの選定から全管理まで、実務のほとんどは彼の役割だった。
背がく、がっしりした体格で、数はない。
だが、のこととなると誰よりもだった。
会員たちのでは、頼れるリーダーとしてられていた。
ただ、田にも周囲にあまり語らない事があった。
3から妻と別居していたのである。
子どもはおらず、夫婦のには婚届だけが残された状態だった。田はその寂しさを紛らわせるように、岳会の活へさらに没していた。
午7、26の会員が全員集した。
男性16、女性10。
そので、幸は唯の独女性だった。
発直、田が幸にづいた。
「今の体調は丈夫ですか」
幸はリュックの肩紐を軽く直しながら、うなずいた。
「丈夫です。今は楽しみにしていましたから」
田は彼女のリュックを見て、紐の位置をし調した。
「ここが緩いと肩に負担がかかります」
その様子を、数の会員が何気なく見ていた。
午730分。
きの登が始まった。
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先には田健がち、最尾には佐藤会がついた。会員たちは2、3ずつのさな組になり、ゆっくりとを登り始めた。
3旬の赤には、まだの気配が残っていた。
登の端にはくがあり、々のを抜けるはたかった。それでも、枝の先には芽がふくらみ、野鳥の声が森の奥から聞こえていた。
幸は隊列のほどを歩いていた。
隣には、同代の女性会員、子がいた。2は元を確かめながら、折軽い会話を交わした。
「今は気が良くてよかったですね」
子が息をえながら言うと、幸は笑顔でうなずいた。
「きのにだと、し寂しいですものね」
登の序盤、会員たちは皆リラックスしていた。笑い声が続き、雰囲気はやかだった。
誰も、この平な登がどのような結末を迎えるのか、像もしていなかった。
正午がづく頃、は点に到着した。赤神社を過ぎ、急な森坂を越えただった。
田がち止まり、周囲を確認してから声をかけた。
「ここで休憩にしましょう」
会員たちは岩や倒のくに腰をろし、それぞれ持ってきた弁当を広げた。おにぎり、サンドイッチ、茹で卵、果物。でべる昼は、普段の事よりもずっとおいしくじられた。
だが、その昼のに、子はし気になる景を目にした。
田健が、幸のくを何度も歩いていた。
彼は自分が持ってきたりんごを取りし、ナイフで皮をむいて幸に差しした。