"多摩川に沈んだ食堂" 第1話
200110、京の摩区のさらにれに、野町というさな町があった。
をり、ゆるい坂を10分ほど歩いた先にある、どこにでもありそうな町だった。特別な名所もなく、きなもない。町のには、緑商という古びた商が細く伸びていた。
アーケードの板はいで塗装が剥がれ、ところどころに錆が浮いていた。井に取り付けられた蛍灯は半分ほどが切れたままで、れた昼でも通りはどこか暗かった。
昔は百、肉、履物、菓子が並び、夕方になれば夕飯の材料を求める主婦たちの声が響いていたという。けれど坂のにきなスーパーマーケットができてから、客はしずつ途絶えた。今では、いているよりもシャッターをろしたままのの方がかった。
その商の真んあたりに、の狭いさな堂があった。
引き戸のガラスには、いペンキで「定」とだけ、器用な文字でかれていた。軒先には褪せた赤い簾が1枚かかっており、が吹くたびに頼りなく揺れた。
の名は、簾の隅にさく染め抜かれていた。
「オンスク堂」
を切り盛りしていたのは、李恩淑、52歳。町の々は彼女を「オンスクさん」と呼んでいた。
彼女は10ほど、の国から逃れてこの町に流れ着いた女性だった。
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最初、町の々は彼女がどこから来たのからなかった。鉛のい本語で、いつもくをげる。背はく、痩せていたが、目だけはどこかかった。
「苦労をねてきたの目だ」
古くから商にいる者たちは、そう言った。
オンスクは空き舗だったその堂を、わずかな蓄えで借りた。を磨き、壁を塗り直し、古い調理器具をそろえ、たった1でを始めた。
す料理は、どれも素朴だった。
焼き魚の定、野菜の煮物、鶏肉と豆腐を甘辛く炊いたもの。そこにい飯、噌汁、漬物がつく。値段は所のどのよりもかった。
客が配して言うことがあった。
「これじゃ儲からないだろう」
するとオンスクは、目尻にしわを寄せて笑った。
「いいの、いいの。みんな、お腹いっぱいになるの、1番」
そう言って、また厨へ戻っていく。
客のほとんどは町の寄りだった。1暮らしの老にとって、オンスクのはありがたい所だった。く温かい飯がえるだけではない。そこへけば、必ず誰かがいる。オンスクがいる。
「おお、来たね。今は寒いね」
「、痛いの、まだ治らないの?」
「お事にねえ」
たどたどしくはあったが、オンスクは客の11をよく覚えていた。誰の膝が悪いのか、誰の連れいが先にくなったのか、孫の名までに入れていた。
だから寄りたちは、用がなくてもついにを向けた。
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注文の品を待つ、湯呑みの茶をすすりながら、ぽつぽつと世話をする。オンスクはそのに相づちを打ち、には頼んでもいない鉢をそっとした。
「これ、おまけ。べて」
その鉢1つが、1の老にはしみじみと嬉しかった。
けれど、オンスク自のことをる者はなかった。族の話を彼女はほとんどしない。の国にいた頃のこと、どうやって逃れてきたのか、そういった話は切にしなかった。
客がうっかり尋ねると、彼女は寂しそうに首を振った。
「昔のこと、もういいの」
そう言われると、誰もそれ以は聞けなかった。
それでも町の々は、オンスクを受け入れていた。素性は詳しく分からなくても、この女性が真面目でにく、悪いではないことは、10の付きいで誰もが分かっていたからだ。
隣の乾物を営む野は、特にオンスクのことを気にかけていた。のの掃除を伝ったり、町内会の回覧板を届けたりした。オンスクも野にはががらず、で取れた銭を握りしめては、よく乾物を買いにった。
「オンスクさんよ、無理しちゃいけねえよ。あんた1なんだから」
野がそう言うと、オンスクは決まって笑った。
「丈夫。私、丈夫だから」
そんなふうに、オンスクは野町の暮らしに静かに根をろしていた。
異国ので過を語らず、ただ目のの客のために飯を炊く。
それが、李恩淑という女性の慎ましい々だった。