"15年無給で働いた若女将を追い出した老舗旅館の末路" 第3話
フォアグラと箔と消えた帳
翌から、『鶴の湯』の空気は変した。
女将のと也のろ盾を得たリナは、館内をが物顔で歩き回り、培われてきた旅館のルールを次々と破壊していった。
「ねえ、女将! このロビーのお、超じゃないですかぁ? 野に咲くを活けましたーって、ただの抜きじゃん! もっとド派な原のバラとか、バルーンとか置いた方が写真映えしますよ!」
「まあ、リナちゃんの言う通りね! すぐに業者に言って、薔薇のアーチを飾らせましょう!」
先代の頃から、季節の移ろいをお客様にじてもらおうと、美里が毎朝へ入って摘みしてきた野の清楚な活けは、無惨にもゴミ箱へと放り捨てられた。
さらにその魔のは、旅館の命である厨へと容赦なく踏み込んできた。
午の仕込みの、美里が板たちと共に夕の準備をめていると、ヒールを脱ぎ捨ててスリッパを履いたリナが、スマートフォンを構えながら厨へズカズカと入ってきた。
「ちょっとぉ、板さんたち! 今夜の料理の試作、持ってきたから! これ作って!」
リナが調理台のに放りしたのは、女性向けのグラビア雑誌の切り抜きだった。
そこには、これ見よがしにフォアグラやトリュフが盛りにされ、箔が散らされた、悪趣な創作フレンチのような料理の写真が載っていた。
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「リナさん、ここはの温泉旅館です」美里は静かに窘めた。「源泉の恵みと、こののの幸、清流の川魚をわっていただくのが、当館の料理の基本です。それに、急にこんな脂っこい料理をしたら、通ってくださっているお客様のおにいません」
「はぁ? だからそれがおばあちゃんのだって言ってんの!」
リナは骨に嫌な顔をして、美里を突きばすように割り込んできた。
「トリュフ! フォアグラ! 箔! 肉寿司! こういうのをドーンと並べて写真を撮らせなきゃ、若い客は来ないの! 温泉で炊いた根の煮物なんて、茶くてで、タイムラインに流れてきたら秒でスクロールされるわよ!」
「でも、体に優しくて美しいからこそ、皆様方からを運んでくださるんです。来週お見えになる佐藤のとみ子さんも、米寿のお祝いで私の煮物を楽しみに——」
「佐藤? とみ子? 誰それぇ?」
リナはにを当てて、袈裟におどけてみせた。
「何の常連からないけどさ、そんなヨボヨボの寄りに構ってる暇なんてないのよ! これからはインフルエンサーの私の友達がどっと泊まりに来るんだから! 塩分控えめだか何だからないけど、のい精料理みたいなの、全部メニューからして!」
「そんな横暴なこと、許されるはずがありません!」
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美里がく抗議したその、厨の扉がき、と也が入ってきた。
「何をごちゃごちゃ騒いでるのよ、美さん!」
はリナの肩向かいにち、美里をたく睨みつけた。
「リナちゃんの言う通りにしなさい。のい寄り向けの料理なんて、売にならないのよ。級材を並べて宿泊単価を吊りげる、これがこれからの『鶴の湯』の経営方針です」
「あなたからも言ってよ!」美里は夫の也にすがるような目を向けた。「来週のとみ子さんのご予約、米寿のお祝いなのよ! いお肉やフォアグラなんて、喉に詰まったらどうするの!?」
也は美里からさっと目を逸らし、ポケットにを入れた。
「……リナちゃんの言う通りでいいだろ。代は変わったんだよ。いつまでも過の遺産にすがりついてるから、うちの宿は垢抜けないんだ」
板たちも、経営陣である女将と若旦に逆らうことができず、悔しそうに拳を握りしめてを向くしかなかった。
そのの夕方、美里が客の案内を終えて帳に戻ると、帳の片隅に置いてあったはずの、あるものが消えていることに気がついた。
美里が、常連客ひとりの好み、アレルギー、族構成、過の会話、お見送りの際ののやり取りなどを几帳面にき留めてきた、あの黒革の帳だった。
「私のノート……どこにったのかしら」
帳のを探し回っていると、休憩のゴミ箱の横で、リナがスマートフォンを片に笑いしている声が聞こえてきた。
「あははは! 見てよ也さん、このボロボロのノート! 『〇〇様、枕はめを希望』とか『〇〇様、お呂がりにたい番茶』とか、きでびっしりいてあってキモいんだけど! 今こんなのアナログ管理とか、マジで原始じゃん!」
ゴミ箱の底に、引き裂かれた帳のページが無残に放り込まれていた。
美里の血の気が、気に引いていった。