"最後の伝書鳩" 第1話
返事のない点呼
峠の先で、輪がにはまって空回りする音が聞こえた。兵たちは振り返ったが、すぐにまたを向いた。ち止まれば列が詰まり、方から来る担架もめなくなる。関も、類に記したのことを考えながら、隊列を止めないよう歩き続けた。
この部隊の報告は、いつも数字から始まった。何がいるか、何が歩けるか、何分の料が残っているか。数字がわなければ、次の命令がない。だが数字のへ押しされたが、いなくなるわけではなかった。
関は、以の報告をいした。負傷して送された兵の名が抜けていたことがある。指摘すると、担当の兵は「ぐらい、で直せばいい」と言った。結局その名は、最まで直されなかった。さな誤りは、のではいつのにか事実になってしまう。
報告を作るに、関は名簿の端へ鉛で印をつけていた。峠を越えた者には丸、担架で運ばれた者には横線、姿を確認できない者には何もかない。第分隊の欄だけが、分まっさらなままだった。
輪尉は、夜けから度、図ので退を引き直していた。が本崩れるたび、負傷者を運ぶ順番も、持っていくや弾薬の量も変わる。兵たちの顔には、眠気よりも「次はどこへくのか分からない」
広告
という疲れが浮かんでいた。
関は、報告を持つ指に力を入れた。の角が掌にい込んだ。正しい数をくことと、正しい判断をすることは、同じではないのかもしれない。けれど今は、にく数字だけが、に残った者たちのを本部へ伝える段だった。
「りない」
関清は、濡れた名簿を何度も数え直した。に打たれたは端から崩れ、鉛の線もにじんでいる。それでも、数字だけは変わらなかった。
昭の初、方のにあるカヤン峠。第百連隊の部隊は、夜けまでに峠を越えて方へがるよう命じられていた。を抜けるは本しかなく、夜から続くで斜面が崩れ、負傷兵を乗せた荷もにはまっていた。
関は通信隊の伍だった。無線の扱いを覚えるは、故郷の埼玉で鳩を飼っていた。軍に入ってからも、通信所に配属されると伝鳩の世話を任された。鳩の帰巣を信じる者は、部隊のでくなかったが、話線が切れ、無線の雑音が敵の妨害に埋もれる夜には、鳥かごだけが頼りになることがあった。
その朝、通信所の軒には、濡れた籠がつ並んでいた。羽は昨夜放したきり戻らず、もう羽は翼を痛めてべない。残った羽だけが、籠の隅で首をすくめていた。
「関、報告を持ってこい」
広告
隊の輪尉が呼んだ。のついた軍靴で図を押さえ、机代わりの箱にをかがめている。昨夜からほとんど眠っていないのだろう。頬はこけ、目のに濃いがあった。
「集計は終わったか」
「はい。ただ、第分隊の名が戻っていません」
輪は名簿を受け取ると、すぐには答えなかった。図のには、部隊が通ってきた尾根と、そこからへ折れる細いが記されている。第分隊は、敵の追撃を遅らせるため、の入に残っていた。
「予定刻を過ぎても、連絡がありません」
「は崩れた。無線も届かん。全員が戻るのを待っていたら、ここにいる者までけなくなる」
輪の声には苛ちよりも疲れがにじんでいた。を見捨てたいわけではない。だが、負傷兵を含む百以を連れて、敵の迫る峠を引き返すのは無理だった。
「報告は、現確認できる数で作り直せ。第分隊は未帰還とする」
関は名簿を見ろした。
「ですが、提用の用には『全分隊、予定点まで退』と印刷されています」
「欄に収まらん話は、別にけ」
輪はそう言って、図の端を指で叩いた。
「本部に救援を求めれば、こちらの位置ももられる。へ戻す数もいない。まずは残った者を峠の向こうへ通す。それが今の命令だ」
関は返事をしなかった。報告用の目には、「各分隊退完」
とあった。第分隊を未帰還とけば、隊のきを正確に伝えられる。だが、その枚が本部に届いたところで、救援がる保証はない。
「関伍」
輪が顔をげた。
「伝鳩は残っているか」
「羽だけです」
「べるのか」
「べるといます」
「う、では困る」
関は籠へ目をやった。の鳩は、濡れた羽を刻みに震わせている。名はトキ。方の通信所から運ばれた鳩で、放せばキロ先の飼育所へ戻る訓練を受けていた。最にんだのは。空はれていた。
今はが斜めに吹きつけ、の向こうでは砲声が途切れず響いている。
「報告を先にす。鳩はそのだ」
輪は用を関へ戻した。
「目は、そのままにしておけ。分隊の名は、戻ったかどうかを確認してからく」
関はを受け取った。報告を届けることができるのは、たぶん度きりだ。裏面には何もかれていない。そこへ何をくかで、に残るのく末が変わるかもしれなかった。
その、峠の向こうでい銃声がつ鳴った。
を置いて、もう度。
関は顔をげた。
第分隊がから図を送るに使う、決められた数だった。