"母ちゃんへの三千円" 第1話
旅ちの汽笛と母の拭い
昭、旬の朝。
まだの消え残る青森の駅のホームには、刺すようなたいが吹き抜けていた。く吐きす息が、集まった勢の々ので幾にもなって揺れている。
学の卒業式を終えてから、わずか週。歳になったばかりの坂本吉雄(よしお)は、ずれで角が丸くなったさな革鞄を、両でぎゅっと握りしめていた。
に入っているのは、洗い晒した着が組と、着替えのズボン、それにお寺のお札とノートが冊。それが、吉雄のこれまでのののすべてだった。
ホームには、同じ町や隣の学から集まった同級たちが、肩を寄せうようにして並んでいた。みんないつも着慣れていた学のままだ。誰としてをく者はおらず、ただたい沈黙ので、鉄の先をじっと見つめていた。
「吉雄」
呼びかけられて振り返ると、モンペ姿の母・ハツがっていた。
たいで赤くひび割れた両を、掛けのでぎゅっと握りわせている。その顔を見つめた瞬、吉雄の胸の奥がきゅっと締め付けられた。
父は、吉雄がまだ学の頃に病気でくなっていた。それ以来、母は朝くから夜遅くまでの田畑にて働き、吉雄との妹、それにまだ幼い弟を女つで育てげてくれたのだ。
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男である吉雄がへ学せず、京へ働きにるのは、にとってごく当たりの選択だった。
「吉雄、腹は減ってねえか。汽のでえ」
母が懐から差ししてきたのは、の皮に包まれた握り飯だった。には真っ赤なしょっぱい梅干しが入っている。
「……うん。ありがと、母ちゃん」
「邪ひかねえようにすんだぞ。京さったら、親方さんとおかみさんの言うこと、よぐ聞いて働ぐんだ。られても、すぐに答えすんでねえぞ」
「分かってる。俺、ちゃんと働くから。仕送りも毎すっから、弟たちのノートとか、ちゃんと買ってやれよ」
がって笑ってみせたつもりだったが、声の先が震えてしまった。
突如、構内にけたたましい汽笛の音が響き渡った。
集団就職列——各から何百もの女を乗せて京へと向かう臨夜列が、黒い煙を吐きしながらゆっくりとホームへ滑り込んできた。
「乗って、乗って! 奥へ詰めて!」引率の先たちの鋭い号がび交う。
同級たちが押し流されるようにしてデッキへと吸い込まれていく。吉雄も鞄を胸に抱え、客のタラップにをかけた。
振り返ると、母が紺絣の拭いを顔に当て、肩を震わせて泣いていた。普段は決して涙を見せないい母が、子供のようにをすすり、を振っている。
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「吉雄! 達者でな! 達者で暮らせよ!」
「母ちゃん! ってくる!」
窓ガラスをけ、を乗りして叫んだ。
ガタン、とい属の軋む音が響き、列がゆっくりときした。ホームで見送る親たちの姿が、い蒸気のに霞み、やがて豆粒のようにさくなって方へ流れていく。
客の座席は、の踏みもないほど荷物とで埋め尽くされていた。誰もが押し黙り、すすり泣く声だけが掌の音に混じって響いていた。
夜の帳がりるにつれ、窓のの景は漆黒のへと溶けていった。座席のから伝わってくるゴトゴトという振と、隙のたさに耐えながら、吉雄は母の握り飯をかじった。塩の辛さと米の甘みが、喉の奥にく広がっていった。
夜列に揺られること、およそ。
夜がみ始めると、窓のの景は変していた。田畑や雑林は姿を消し、無数の瓦根や煙突、網の目のように張り巡らされた線がどこまでも続いていた。
「おい、見ろよ……京だ」
誰かがぽつりと呟いた。みんなが斉に窓に額を押し当て、息を呑んだ。
午。列は終点、野駅のいホームへと滑り込んだ。
ドアがいた瞬、押し寄せてきたのは、これまで嗅いだことのない油と埃の匂い、そして無数の々の話し声だった。
「からの集団就職の方、こちらへ! プラカードのに集まってください!」
メガホンを持った係員の声が響く。
改札の広い広には、背広を着た男たちや掛け姿の主たちが、社名をいたを掲げて何にも垣を作っていた。
『田鉄所』『丸菱属』『協精』——。
その垣の端に、油の染みたジャンパーを着た、角刈りの柄な男がっていた。胸元には『田区 沢製作所』ときされたがぶらがっている。
「おが、坂本吉雄か」
男の濁った、しかし太い声が吉雄のに届いた。
「は、はい! 青森から来ました、坂本吉雄です! よろしくお願いします!」
吉雄は腰が折れるほどくをげた。臓が胸の裏側で鐘のように打っていた。
男は吉雄の細い首と、のついた革靴を値踏みするようにじっと見つめ、く言った。
「俺は沢だ。町だが、飯だけは腹いっぱいわせてやる。くぞ」
親方は吉雄の鞄をひったくるように持つと、股で歩きした。
昭の。歳の吉雄にとっての、戦いのような京での暮らしが、こうして幕をけたのだった。