"離婚して10年、元夫が鍵を替えなかった理由" 第7話
い病とさくなった背
夕暮れのたいが、病院のエントランスの自ドアをくぐった瞬に、消毒液の混じったぬるい空気に変わった。
受付で面会続きを済ませ、エレベーターで階の脳神経科病棟へとがる。ナースステーションで護師に案内されたのは、廊の突き当たりにある部だった。
「神さん、ご族の方が荷物を持ってきてくれましたよ」
護師さんがカーテンをしけて声をかけると、ベッドのから微かに擦れの音がした。
「……あ、どうも……」
カーテンの隙から覗いた病の。
窓際のベッドに横たわっていた正彦の姿を見て、みつ恵は息を呑んだ。
髪がすっかり増え、頬の肉が落ちて、よりも回りも回りもさく見えた。には酸素のチューブが通り、腕には点滴の針が刺さっている。顔の半分がし張っているように見えたが、線はしっかりとこちらを捉えていた。
正彦は、入ってきたみつ恵の顔をじっと見つめた。
しばらくの、井とみつ恵の顔を何度も見比べ、まるで昼でも見ているかのように目を瞬かせている。
「……ゆから、頼まれてね」
みつ恵は努めて普段通りの、落ち着いた声を絞りした。
「着替えと、お薬帳と、保険証を持ってきたわ。ゆはの朝番ので来るそうよ」
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パイプ子を引き、ベッドの横に腰掛ける。持ってきた袋をベッドサイドの棚に置き、提げ鞄のから、あの鍵を取りした。
チャリン、とさな属音が響き、赤い根の粘細が微かに揺れる。
「……これ、使えたわよ。部の鍵」
正彦の線が、鍵の先にあるさな赤いに吸い寄せられた。
そして、信じられないものを見るように、ゆっくりと目を見いた。
「……いたか」
掠れた、々しい声だった。言葉を発するのにし力が必なようで、元が微かに引き攣れている。
「ええ。すんなり回ったわ。……てっきり、とっくに鍵なんて変えてるとってたのに」
「……変えるのが、面倒だっただけだ」
正彦はそっぽを向き、窓のの暮れなずむ空を見つめた。
だが、そのたぶが、みるみるうちに赤く染まっていくのを、みつ恵は見逃さなかった。
照れると、の先だけが真っ赤になる。昔と何つ変わらない、この男の器用な癖だった。
「嘘をおっしゃい」
みつ恵は、しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「池さんから、全部聞いたわよ。、マンション全体の鍵を取り替える、頑として断ったんですってね? 『この鍵を持ってるが、まだいるので』って」
正彦の肩が、ビクッとねがった。
赤くなったが、今度は首筋にまで広がっていく。彼は顔を背けたまま、ぎゅっと掛け布団の端を握りしめた。
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「……池のやつ、余計なことを……」
「余計なことじゃないわ」
みつ恵の声から、ふっと笑みが消え、静かで優しい響きに変わった。
「も……読んだわよ。引きしの番に置いてあったの、見つけたから」
病のに、い、い沈黙が落ちた。
くのナースコールがさくピピッとなる音と、点滴の落ちる微かな規則な気配だけが、のを流れていく。
正彦はく方ので、ゆっくりと顔を覆った。
指の隙から、く、いため息が漏れた。
「……遅かったな」
「え?」
正彦は顔を覆ったまま、震える声で絞りすように呟いた。
「……も、遅い……。今さら、あんなものを読ませて……すまん」
、夫婦として暮らして、度も聞いたことのない言葉だった。
ありがとうも、美しいも、ごめんなさいも、何つにできなかった男が、の空を経て、病ので初めて妻に謝っていた。
その姿を見た瞬、みつ恵の目から再び涙が溢れしてきた。
けれど、それはもうしい涙ではなかった。
「……本当に、遅いですよ」
みつ恵は泣きながら、わずふふっと吹きして笑ってしまった。
「にくくらいなら、あの朝、直接言ってくれればよかったのに。そうしたら、私だって……」
言葉をみ込み、みつ恵は目元をハンカチで押さえた。
過ぎったを悔やんでも仕方がない。けれど、そのがあったからこそ、はお互いがどれほどきなだったのかを、痛いほどることができたのだ。