"赤飯を炊いた朝" 第5話
名のない欄
昭吉の名は、移る先の候補者名簿になかった。
それをったのは、に入ってすぐだった。会社の説会から帰った昭吉は、玄関で靴を脱ぐと、そのまま座り込んだ。
「若い者から先に話をめるそうたい」
「お父さんは?」
「過ぎの坑夫を欲しがるところはなか。今の仕事も、片づけまで残るだけやろう」
昭吉は笑おうとしたが、うまくいかなかった。子が差しした茶にもをつけなかった。
は父のにしゃがんだ。
「俺が会社に言う。父ちゃんみたいに仕事のできるを残さんで、どうするって」
「やめとけ」
「でも」
「おのき先までなくすな」
昭吉がそう言うと、はを閉じた。父が自分のことを配しているとわかっても、何も言い返せない顔だった。
そのの昼、米から仕入れを減らしてほしいと頼まれた。のツケが増え続け、支払いが遅れ始めていたからだ。私は帳面を持って米へき、翌週までに部を払うと約束した。
戻ると、堂の入にが貼られていた。
《今いっぱいで掛け売りをやめます》
子の字だった。私はを見て、娘を呼んだ。
「勝に貼ったらいかん」
「お母ちゃんが言えんけん、私が貼った」
「うちの客が困るやろ」
「米さんも困っとる。お母ちゃんだけ、ずっと待つつもり?」
そこへ、赤ん坊を抱いた若い母親が入ってきた。
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を見た瞬、が止まった。
「今の分も、もう駄目ですか」
子は答えられなかった。私は女に子を勧め、鍋に残った噌汁をよそった。
「今はべていき。おの話はあとで」
女は黙ってをげた。子は何も言わず、奥へ引っ込んだ。
その週、子はの古い裁縫箱をし、所のから頼まれたズボンの裾直しを始めた。本直してもらえるはわずかだったが、娘はさな封筒に貯めていた。
「これで受験料のしになるけん」と言う子に、私はつい「勉を先にしなさい」と言った。娘は針を置き、私を見た。
「勉したらおがてくると?」
言い返せなかった。私は昼、赤ん坊を抱いた客に噌汁をした。子はその横で、米びつの底が見え始めているのをっていた。どちらがのことを考えているか、簡単には決められなかった。
夜、子の封筒をのぞくと、貨のにが枚入っていた。《学の本代》とさな字でかれている。私は封筒を元に戻し、娘が眠るまで声をかけなかった。
夕方、娘の机のにが枚置いてあった。学の希望調査票だった。希望欄には何もかれていない。私はを持って娘を探した。
「子。護婦の学、いてよかよ」
「おは?」
「これから考える」
「お母ちゃん、そればっかり」
子は泣かなかった。だから、余計にこたえた。
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富子のでも、話はまとまっていなかった。ある晩、洗濯物を取りにくと、け放した窓から健の声が聞こえた。
「俺が落ちたのは、父ちゃんがおらんけんやなか。俺の仕事がやったけんでもなか。数がりんかっただけたい」
「わかっとるよ」と富子が答えた。
「わかっとらん。母ちゃんが毎、のことばっかり聞くけん」
私はのでち止まった。健はと同じだった。さいころはで堂の裏に穴を掘り、炭鉱の真似をして遊んでいた。片方だけが次の仕事を決めた今、何を言えばいいのかわからない。
翌、健がに来た。昼のうどんをべ、勘定を払ってから、ぽつりと言った。
「おばちゃん、は運がよかったね」
「そうかもしれんね」
「俺は、職へっても、また来てくださいばっかりたい」
私は箸を片づけるを止めた。何か紹介できる仕事はないかと考えたが、いつかなかった。
「おばちゃんも仕事を探しよるんやろ」
「うん。試験だけ受けた」
「受かるとよかね」
健はそう言ってをた。励ましてくれたのが嬉しい方で、私は恥ずかしかった。自分のき先を配しているに、き先のないから励まされていた。
翌週、私は佐伯品の度目の試験へった。朝から昼過ぎまで、野菜を洗い、切り、煮た。鍋は庭用の何倍もきく、かき混ぜるだけで肩が痛くなった。
若い員が際よく作業をめる横で、私は何度も計を確かめた。
昼休み、佐伯が私の向かいに座った。
「松尾さん。堂はどうされますか」
「まだ決めていません」
「こちらの仕事は、週にです。始業もい。通いでは続かないといます」
「寮があると聞きました」
「女性用の部がつあります。今はつ空いています。ただし、ご族全員では入れません」
佐伯はを差しした。採用するの賃と勤務、寮費がかれていた。堂がうまくいっていたころの収入よりくはない。それでも、末にいくら入るかわかる仕事だった。
「来のから来られるなら、採用したいとっています。返事は週以内にお願いします」
私はをつに折り、提げにしまった。
帰宅すると、昭吉が台所でと話していた。別の炭鉱から、に面接の連絡が来たという。
「どこね」
私が聞くと、は名を言った。今の町からはれているが、やはり坑内の仕事だった。
「くと?」
「受かったら」
「またにりるとね」
「何が悪い」
「ほかの仕事もあるやろ」
がちがった。
「母ちゃんには、坑夫は恥ずかしい仕事なんやな」
「そんなこと、度も言っとらん」
「じゃあ、なんで俺が坑夫を続けたらいかんと」
私は、提げのの採用通を握った。息子に答える言葉が、今度こそ見つからなかった。
その晩、昭吉が先に寝たあと、私は堂の帳面と佐伯品のを並べた。片方には返ってくるかわからないがあり、もう片方には働けば受け取れる額がかれていた。
子が隣に座った。
「お母ちゃん。受かったんやろ」
「うん」
「ったらよか」
「はどうする」
「私が学から帰って、片づける。お父ちゃんもおるやろ」
「子に背負わせるわけにはいかん」
子は私の顔を見た。
「じゃあ、誰が背負うと。お母ちゃんが全部持っとったら、いつまでたっても何も変わらんよ」
私は返事をしなかった。窓のから、くの坑の汽笛が聞こえた。