"赤飯を炊いた朝" 第1話
祝い事じゃない
「めでたいじゃなかろうが! 何を考えとるんだ!」
夫の昭吉が茶碗を畳に置いた。汁がしこぼれ、卓袱台の端を伝って落ちた。向かいに座る息子のも、箸を持ったまま私を見ていた。
昭。福岡県の筑豊にあるさな町で、炭鉱の閉が正式に伝えられた朝だった。
私が炊いたのは赤飯だった。豆を煮て、の晩からに浸しておいたもち米を蒸した。台所には、正でもないのに甘い湯気がっていた。
「お父さん、めるよ」
「そんなもんえるか」
昭吉は歳。に結婚したときから、坑内で働いている。の薬指はし曲がり、爪のには洗っても落ちない黒い筋があった。今朝もいつもどおり作業着に着替えていたが、胸の名札だけはまだ付けていなかった。
「母ちゃん、わざとやろ」
が言った。歳になった息子は、父と同じ炭鉱に勤めて目だった。
「昨、みんなが集まって会社と話しよったの、っとるやろ。今の朝礼で発表するって、昨の晩に決まったとよ。それなのに、なんで赤飯なんか」
「っとるよ」
「なら、どうして」
私は蒸し器の蓋を持ったまま答えた。
「これで、やっと終わるけん」
昭吉がちがった。卓袱台が揺れ、赤飯の皿が畳に落ちた。はそれを拾わず、玄関に置いてあった袋をつかんだ。
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「父ちゃん、先にく」
「、弁当は」
「いらん」
戸が乱暴に閉まった。残された昭吉は、私の顔をしばらく見ていた。
「お、俺たちが何して飯わせてきたか、忘れたとや」
「忘れとらん」
「炭鉱がなくなったら、この町はどうなる。うちのだって客が来んようになる。それが嬉しかとか」
「嬉しいなんて言うとらん」
「赤飯炊いて、よう言うわ」
昭吉は着を肩にかけた。玄関までってから、度だけ振り返った。
「ていけ。そんなにこの町が嫌なら、おだけていけ」
私は返事をしなかった。戸が閉まる音のあと、蒸し器ので湯が鳴る音だけが残った。
をける刻になった。うちは坑へ続く坂の途で「まつや」というさな堂をしている。掛けの卓袱台がつと、窓際に細い台がつ。朝は噌汁と卵焼き、昼はうどんと替わりの定をしていた。
いつもなら半には作業を終えた夜勤の男たちが入ってくる。今は誰も来なかった。坂をっていくたちの音は聞こえるのに、引き戸は度もかなかった。
、戸をしだけけた男がいた。常連の坂本さんだった。夜勤けには必ずうちで目玉焼きをべ、卵の黄を最まで残すだ。私はいつものように「がって」と言ったが、坂本さんはからかなかった。
「女将さん、今は何かしよると」
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「赤飯があるよ。噌汁も」
「赤飯か」
坂本さんは顔をしかめた。「うちの男が、今朝から職探したい。俺もあと何か働けるかわからん。お祝いの飯は、ちょっとべきらん」
私はい飯を炊いていないことに気づいた。を始めてから、客がべたいと言うものをつもせなかったのは初めてだった。
「噌汁だけでも」と言うと、坂本さんは首を振った。「また来るよ」と言って戸を閉めた。その背を見ながら、私は赤飯を炊いたことより、い飯を用しなかったことを悔やんだ。
過ぎ、隣の洗濯の野富子が戸にった。富子とは来の付きいで、私が邪をひいたときはの鍋を見てくれたこともある。
「澄子さん。赤飯、配りよるって本当ね」
私は呂敷に包んださな折を見た。余った分を、坑内で働くへ届けるつもりだった。
「うん。あんたのところにも持っていこうとって」
「うちはいらん」
富子の夫は、坑内の事故でくなった。今は息子の健がで働いている。富子は呂敷を見ようともしなかった。
「うちのが帰ってこんかったにも、あんたはこんな飯を炊けたね」
言葉がなかった。富子は私が答えるのを待たず、坂をりていった。
昼、堂の帳面をいた。昨夜までつけていたツケの名が分並んでいる。
鉱夫の料にまとめて払ってもらう約束だった。赤い鉛で印をつけた額をすと、仕入れ代よりずっとかった。
そのとき、奥からの娘、子が顔をした。
「お母ちゃん、今、学でみんな言いよった。炭鉱が閉まったら、引っ越す子が増えるって」
「そうやろうね」
「私も、学やめんといかん?」
私は帳面を閉じた。朝から初めて、答えに困った。
では、会社のトラックが坂をっていった。荷台には坑内で使う材が積まれていた。炭鉱はまだかく。男たちはもへりる。それでも、この町の何かはもう終わり始めていた。
私はえた赤飯をべた。もち米は固くなっていた。