"竹林の向こうの白衣" 第1話
シャラシャラと鳴る林の記憶
のの骨をける。 それが、脳神経科医である私の常の仕事です。
顕微鏡をのぞき込み、髪の毛ほど細い血管を本ずつつないでいく。わずかなずれが患者の命に関わる。私は、そんな緊張の続く現で働いている。
私の名は、之内子(たけのうち・ようこ)。 歳。どこにでもあるようなごく平凡な名ですが、これは歳のときに自分で選び、庭裁判所でに入れた名です。
まれたときに両親からつけられた名は、まったく違っていました。 という字に羅の羅といて、「ティアラ」。 いわゆる典型なキラキラネームでした。
の私は、その突な名とともに、い児喘息を患っていました。 夜になると喉がヒューヒューと鳴り、発作が起きるたびにたい汗を流して朝を待つような、ひどく体のい子どもでした。
「ティアラ、あなたはね、都会の空気を吸うと病気が悪くなってんじゃうかもしれないの」
歳の、母は私の荷物をボストンバッグに詰めながら、のこもらない声でそう言いました。 父もその横で、困ったような顔をして線を泳がせていました。
「空気の綺麗なへけば、病気も治ってきできるから。あなたのためをってのことなのよ」
私を診てくれていた児科医の之内先も、環境を変えること自体には賛成していました。
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だから当の私は、母の言葉を疑うことなどいつきもしませんでした。
けれど、両親の真の目は、私の療養などではありませんでした。 歳の兄――IQ150の才と持て囃されていた(たかお)の教育環境をえるため、邪魔になった病な妹を体よく厄介払いすることだったのです。
私は、里れたのにある児療養施設へ預けられました。
親と引きされて寂しくないはずがありません。 夜、たいシーツにくるまり、声を殺して何度も泣きました。
けれど、の空気は確かに優しく、喘息の発作はしずつ治まっていきました。 何より私のを慰めてくれたのは、施設の裏にどこまでも広がっていた、広な林でした。
が吹き抜けるたび、青々とした同士が擦れって、シャラシャラと涼やかな音をてます。 その乾いた音を聞いているときだけは、族から切り捨てられた胸の痛みがらぐような気がしていました。
裏にはづいちゃダメよと、施設の先たちはいつも私を窘めました。 がえすぎて根が浅く張り、面が緩んで崩れやすくなっているからだと。
けれど私は、その林からどうしても目をすことができませんでした。 青くく伸びるの群れが、どこか恐ろしく、それでいて美しく見えて仕方がなかったのです。
ある嵐の翌、施設の裏庭で遊んでいたときのことでした。 元のが、ふっと音もなく沈み込みました。
次の瞬、ズズズッと響きがして、目のの斜面がきく崩れ落ちたのです。 何本ものが乾いた音をてて倒れ、絡みっていた根っこが、まるで裂けた皮膚のように赤の奥から剥きしになりました。
「ティアラちゃん!」 駆け寄ってきた先の腕に抱きげられながら、私は崩れた肌をじっと見つめていました。
入れをされず、放っておかれたは、増えすぎるとそのものを壊してしまう。 その景が、子どもの私の胸の奥くに、い澱のように沈み込んでいきました。