"昭和35年、高校を諦め祇園へ渡った15歳の少女" 第6話
お座敷のとの嘘
「おたの申しますー」
菊の澄んだ声に続いて、文代もお茶の玄関でくをげた。
「おたの申します……」
お茶の女将が笑顔で迎えてくれる。
「あらまあ、菊さんとこのしい見習いさん? らしい子やなあ。おいで、座敷は階やで」
狭く急な階段を、い着物の裾を持ちげながら段段っていく。おこぼを脱いだ袋の裏が、磨きげられた階段の板に吸い付くようだった。
階の広の襖がいた瞬、文代のを突いたのは、価な酒と料理、そして煙の煙が混ざりった、濃なの世界の匂いだった。
広には、仕ての良いスーツを着たの男性客が、座に陣取っていた。繊維会社の役とその取引先の面々らしく、すでに顔を赤くして声で笑いっている。
「見習いの文代と申します。どうぞお見りおきを願います」
菊に促され、文代は座敷の末席——ののい入りのくに、さくつ指をついてをげた。
見習いの仕事は、座敷の主役になることではない。お姉さんたちのち居振るいを邪魔しないよう、部の隅に控えて「目で盗む」ことだった。
菊は、座敷にがった瞬に空気を変えた。
先ほどまで置で見せていた気だるげな表は消えり、華やかな笑顔と柔らかい京言葉で、男たちのを流れるように泳ぎ始めた。
広告
「まあ、社はん、お久しゅうございます。今もえらい男でいらっしゃいますこと」
徳利を傾けるつきの滑らかさ、客の杯が空く寸にすっと差しされる絶妙ない。客が自話を始めれば、したように目を輝かせて聞き入り、品な冗談を振られれば、決して嫌な顔をせず、ふわりと煙に巻くようにかわす。
文代は、瞬きも忘れてその様子を見つめていた。
これが、祇園の芸妓の技なのだ。男たちをて、いい気分にさせ、を落とさせながら、決して自分自の誇りは売り渡さない。
しかし、座敷がみ、酒がくなるにつれて、宴席の空気はしずつ卑俗なものへと変わっていった。
「おい、見習いちゃん。お、いくつや?」
座に座っていた太った男が、充血した目で文代を招きした。
文代は緊張で喉を締め付けられながら、すりで男のにみた。
「じ、に……もうすぐになります」
「か! 若いなあ、ピチピチやないか。どこから来たんや?」
「丹の方です……」
「丹か! 田舎の娘は肌がうてええ。おい、もっとこっちへ寄れよ」
男の伸びてきたが、文代の着物の袖を掴もうとした。
その瞬、菊がすっとのに割って入り、男の杯に酒をなみなみと注いだ。
「まあ社はん、いけまへんわ。この子はまだ雛鳥やさかい、そんな怖い顔しはったら逃げてしまいまっせ。
広告
それより、うちの注いだお酒、呑んでくれはらへんのですか?」
甘えるような、けれど無を言わせない菊の線に、男はのを伸ばして「おお、そうかそうか」と杯を干した。
文代の背には、たい汗がびっしょりと流れていた。
美しい着物を着て、優雅にをうだけがではない。ここに来る客は、を買いに来る紳士ばかりではなく、に物を言わせて欲望を満たそうとする々しい男たちでもあるのだ。
夜のを過ぎ、ようやく軒のお座敷回りが終わった。
お茶の玄関をると、の夜が照った頬を撫でた。
「姉さん、おおきに助けていただきまして……」
文代がをげると、菊は煙管(キセル)をにくわえ、夜空に向かって細い煙を吐きした。
「ええんや。見習いのうちは、うちのろに隠れてたらええ。……せやけどな文代ちゃん、妓になったら、誰も助けてはくれへんのやで」
菊の横顔は、座敷の華やかな笑顔とは打って変わり、たく研ぎ澄まされていた。
「自分のは、自分で守るんや。芸を磨いて、を使うて、男をのひらで転がせるようにならんと……このではきていかれへんのやからな」
畳を鳴らすおこぼの音が、夜のにく、鋭く響いていた。