"認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会" 第12話
父が今も作っているもの
「……なんで、分かったんだよ」
郎のから漏れたのは、さっきまでの尊な声ではなく、掠れて消え入りそうな々しい声だった。
「認症の症状に詳しすぎたからよ。徘徊のことも、物盗られ妄のような症状も、実際に目ので毎経験していなきゃ、あんな具体な言葉はてこないわ」
「それだけで……?」
「それだけじゃない。あなたのその顔を見れば分かる」
私は郎の目元に刻まれた濃い隈を見つめた。
結婚していた頃の郎は、しでもお腹周りに肉がつけばジムに通い、毎朝鏡ので髪型をえ、靴の磨き加減にまで神経を尖らせる男だった。
それが今はどうだ。無精髭は剃り残され、シャツの襟元はくたびれ、スーツの肩にはフケが落ちている。
「夜、まともに眠れてないんでしょ」
郎は気まずそうに線を畳へと落とした。
「お母さんが、夜にへちゃうの?」
「……たまにな」
「さっき言ったことも、すぐに忘れちゃう?」
返事はなかった。ただ、く結ばれた唇がさく震えている。
「……仕事を辞めたのね?」
観したように、郎の肩からすうっと力が抜けた。
「……介護職だよ」
吐き捨てるように、郎は言った。
母親の物忘れが始まったのは、ほどのことだったという。
最初はガスの消し忘れや買い物の複程度だったものが、やがて本格な徘徊へと悪化していった。
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、郎が会社で仕事をしている最に、警察から「お母さんを保護しました」という話が何度もかかってくるようになった。
「事な会議の最に抜けしてさ……司や同僚にげて迎えにって……。そんなのが週に何回も続いたら、職にいられるわけねえだろ。『ご庭を優先されたらどうですか』って言われて……実質クビだよ」
「介護保険のサービスは使わなかったの?」
「使えるわけねえだろ!」
郎は急に苛ちをわにして、声を荒らげた。
「に母親のの世話させたり、見らぬ施設に預けたりできるかよ! 親の面倒を見るのは息子の義務だろ! 介護は族がやるもんだって……おだってそうやって親父さんの面倒見てきたんじゃないのかよ!?」
。
私に向かって「おの父親なんだから俺を巻き込むな」「親の面倒は子どもが見るのが当たりだ」と突き放した郎は。
いま、自分自が吐きしたその言葉の呪縛に囚われ、きが取れなくなっていたのだ。
私はる気にも、嘲笑う気にもなれなかった。
ただただ、の自分の姿を見ているようで、胸が締め付けられるように痛かった。
「……私もね、最初はあなたとまったく同じだったのよ」
郎が、驚いたように顔をげた。
「誰のも借りずに、私でお父さんを守らなきゃいけないってい込んでた。
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デイサービスに預けるのは親孝で、見捨てることだとってた。でもね、違ったのよ」
「…………」
「のを借りたからこそ、私は今までお父さんを嫌いにならずに、族として緒に暮らしてこられたの」
郎は信じられないといった様子で、震える唇をいた。
「親父さん……今はどうしてんだよ」
「症状はずいぶんんだわ」
私は穏やかに答えた。
「私のことを娘だと認識できないも増えたし、さっきべたお昼ご飯のこともすぐ忘れちゃう。昔みたいに毎厨にって、料理を作ることももうできない」
「じゃあ……やっぱりは終わったんじゃないか」
「ううん、終わってないわよ」
私は首を横に振った。
「毎は無理でも、調子のいいには今でも厨の子に座ってもらってる。包丁を握るのは危ないから見役だけどね。『ひまわり』の定番のお惣菜の付けは、今でも全部お父さんが監修してるのよ」
「認症なのに……付けができるのか?」
「できるわよ。認症になったからって、そのが何もかけて体に染み込ませてきた技術や誇りまでが、全部消えてなくなるわけじゃないもの」
、郎は私のに通い詰め、父の作ったミックスフライを「世界美い」と言ってべていた。
あのの記憶は、父の体の奥くに、今でもしっかりと息づいている。
「キッチン青という板はろしたわ。でもね、あの厨と父のは、宅配キッチンひまわりというしい器ので、今もき続けてるの」
私は歩踏み込み、まっすぐに元夫の瞳を見据えた。
「あなた、あの言ったわよね。『認症の親を選んだら、おのは終わりだ』って」
郎の体が、ビクッと張る。
「終わらなかったわよ、郎さん。形が変わっただけ」
郎は何も言い返せなかった。
唇を噛み締め、爪が皮膚にい込むほどく拳を握りしめている。
そこにっていたのは、私を見して悦に浸っていたかつてのモラハラ夫ではなかった。
きりで暗のでもがき、誰にも助けを求められず、極限まで擦り切れてしまった、孤独な介護者の姿だった。