"認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会" 第8話
宅配キッチンひまわり
最初から層な会社を作ろうなんてっていたわけではない。
スタートは、本当にごくさな、作りの配サービスだった。
「キッチン青」の厨を使い、父とで齢者向けのメニューを練りげた。
煮込みハンバーグ、鶏の柔らか照り焼き、魚のフライ、汁の染みた煮物。
噛む力がくなったお寄りでもべやすいように、隠し包丁を入れたり、とろみをつけて誤嚥を防いだりといった夫を凝らした。
「お父さん、この付け、し濃くないかな?」
皿で見を渡すと、父は舌ので転がすようにして目を細めた。
「いや、寄りはの覚がし鈍くなるからな、これくらいメリハリがあった方が美いんだよ。ただ、血圧を気にするもいるだろうから、ソースをかけるんじゃなくて別添えにすりゃいい」
認症がんでいても、体に刻み込まれた料理としての嗅覚は、決して消えていなかった。
もちろん、父をで厨にたせることはできない。計量は私が管理し、や包丁を使うときは必ず隣に寄り添った。
それでも、自分がまだ誰かの役にてているという実は、父の瞳に確かなを取り戻させていた。
初の配達は、わずか。
支援センターを通じてりった介護世帯や、所の暮らしのお寄りのへ、私自が自転のカゴに積んで届けに回った。
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「青さん、本当に助かるよ」
玄関先でお弁当を受け取った髪の女性が、ぽろりと涙をこぼした。
「今は夫が朝から落ち着かなくて、買い物にもけなかったの。こんなちゃんとした温かいご飯がべられるなんて……」
その言が、私の胸にく突き刺さった。
私はお弁当を渡すだけでなく、ほんの、分、顔を見て声をかけることを徹底した。
「今はしえますね、お茶はめてますか?」
「の調子はどうですか?」
医療や介護の専なケアはできなくても、それは派な「見守り」になる。
暮らしのお寄りにとっては「今も誰かが会いに来てくれた」という温もりになり、宅で介護を抱える族にとっては「自分たち以にものが気にかけてくれている」という微かな息抜きになるのだ。
コミはしずつ広がり、だった注文は、へと増えていった。
ではが回らなくなり、腰の治った田さんにも復帰してもらった。
「都子ちゃん、これじゃあ昔の定やってた頃より忙しいんじゃない?」
田さんが笑いながら野菜を刻む。
「本当にね。でも、なんだか今の方がやりがいがあるよ」
「も嬉しそうだしねえ」
厨の隅のパイプ子に腰掛け、根の煮物を見していた父が、ふふんとを鳴らした。
「汁の引き方がまだ甘いぞ、都子」
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「はいはい、料理。勉させていただきます」
そんな軽を叩きえる常が、何よりもおしかった。
号もしく改めた。
「宅配キッチンひまわり」。
父のをそのまま残すことはできなかったけれど、父が料理に込めていた「を幸せにする覚」は、確実にここでき続けていた。
もちろん、すべてが順満帆だったわけではない。
父の症状は、寄せては返す波のようにしずつしていった。
私の名を呼ぼうとして言葉に詰まるもあれば、さっき仕込みを終えたばかりの肉の所を何度も聞いてくることもあった。
そんなときは、無理をさせずにエプロンをさせた。
デイサービスの回数を増やし、訪問介護のを借り、どうしても父の緒が荒れるは仕事をスタッフに任せて実で寄り添った。
昔の私なら、「仕事を投げしてしまった」「誰かに迷惑をかけてしまった」と自分を責めていただろう。
けれど、今は違う。
誰かにに頼れるからこそ、私は父に対して笑顔でいられる。
で全部を抱え込まないからこそ、このさな灯のような事業を続けていけるのだ。
その考え方を教えてくれたのは、定期に状況を聞き取りに来てくれる倉田さんだった。
政への続きや事業のめ方で壁にぶつかるたび、彼は親になって相談に乗ってくれた。
次第に私たちの会話は、事務な報告だけでなく、のない世話へと広がっていった。
「最初に相談に来たときの青さん、覚えてますよ」
ある夕暮れ、類を受け取りに来た倉田さんが、ふと懐かしそうに微笑んだ。
「あのときは本当に恥ずかしかったです……忘れてください」
「忘れられませんよ。あのときは本当に、今にも消えてしまいそうな顔をしていましたから」
倉田さんは穏やかな差しで私を見つめた。
「でも、今の青さんは本当にいい顔をしています」
その言葉が、どんな賛辞よりも胸に沁みた。
郎と暮らしていた頃の私は、ただ夫の顔を窺い、否定されることに怯えるだけの「何者でもない女」だった。
けれど今は、父を守りながら、自分の志で、誰かの支えになるを歩んでいる。
族を守ることと、自分のをきること。
そのふたつは、決してどちらかを諦めなければならない者択ではなかったのだ。