"認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会" 第7話
「でやらなくていい」
域包括支援センターの相談で、私は堰を切ったように喋り続けた。
父が認症と診断されたこと。
夜の徘徊が止まらないこと。
をなんとかけているけれど限界なこと。
何もまともに眠れていないこと。
婚して、頼れる内が自分しかいないこと。
最初は事務に状況だけを伝えるつもりだった。
けれど、デスクの向こうに座っていた相談員の男性が、私の話を静かに聞き終えた、
「青さん、今まで本当におでよく頑張ってこられましたね」
とぽつりと言った瞬、界が涙で滲んで止まらなくなってしまった。
「すみません……けないところをお見せして」
「謝る必なんてありませんよ」
そのは慌てて励ましたり、「頑張って」などという無責任な言葉を投げかけたりはしなかった。ただ黙ってティッシュの箱をそっと差しし、私の呼吸が落ち着くまで静かに待ってくれた。
やがて私が顔をげると、担当の男性――倉田さんは、真っ直ぐに私の目を見て言った。
「青さん。今、これだけは覚えて帰ってください」
「……はい」
「介護は、族だけで抱え込むものじゃありません。で全部背負わなくていいんです」
胸の奥をく突かれた気がした。
「でも、私が娘ですから……」
「ご族だからこそ、く緒に暮らしていくためには、あなたが休むが必なんです」
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それまでの私は、父をどこかへ預けることにい罪悪を抱いていた。
見らぬ所に放り込むのはだ、自分が楽をしたいから親を追いすのではないか――そんなろめたさに苛まれていたのだ。
けれど倉田さんは、とペンを取りしながら、ひとつひとつ丁寧に解きほぐしてくれた。
を過ごしながらリハビリや交流ができる通所介護(デイサービス)があること。
自宅に来ての回りの世話を伝ってくれる訪問介護があること。
どうしても介護者が休みたいに数泊まれるショートステイがあること。
そして何より、介護する側のを支えるための相談窓があること。
「休むことは、見捨てることではありません。お父さんと笑顔で向きい続けるための、切な段なんですよ」
その言葉に、どれほど救われたか分からない。
張り詰めていたのトゲが、すうっと溶けていくような気がした。
続きをえ、父は週に回、デイサービスに通い始めることになった。
最初は「俺はまだそんな寄りじゃない!」と頑なに拒んでいた父だったが、
「お父さん、あそこには昔をやってたも来てるみたいだよ。料理の話ができるかも」
とを向けると、しだけ乗り気になった。
実際に通い始めてみると、父は驚くほどすんなりと馴染んでくれたようだった。
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「都子、今な、昔寿司を握ってたっていう爺さんと話したんだぞ」
帰宅した父が、久しぶりに嬉しそうに報告してくれるもあった。
私には、週に数ずつの「自分の」ができた。
初めて父を送りした、誰もいない静まり返ったリビングで、私は何をすればいいのか分からずち尽くしてしまった。
体を休めようと横になっても、父がいないことに落ち着かず眠れない。スーパーにかけても、どこかで父が迷子になっているんじゃないかと背がざわついた。
それでも週を追うごとに、私はしずつ自分の呼吸を取り戻していった。
余裕ができると、のく末についても静に考えられるようになった。
これまで通りのとしてランチ営業を続けるのは、父の全を考えても現実ではない。
けれど、父がを懸けて築きげてきたこの厨を、完全に閉ざしてしまうことにはどうしても納得がいかなかった。
ある、デイサービスから嫌よく帰ってきた父が言った。
「都子、腹減ったな。何か作るか」
「何がべたい? 私が作るよ」
「たまには俺がフライパン握るよ」
「じゃ駄目。私も伝うから」
で並んで厨にった。
父が作ろうとしたのは、昔からのの板メニューだったハンバーグだ。
途で牛乳をすのを忘れたり、玉ねぎの炒め加減が甘かったりした。
けれど、ミンチ肉を両でリズミカルにキャッチボールして空気を抜くつきや、焼きを見つめる真剣な差しは、あの頃の父そのものだった。
ジュウジュウと音をてるハンバーグを、皿に盛ってで突きった。
「……美しいね、お父さん」
私が素直に呟くと、父は誇らしげに目を細めた。
「だろ? 伊達に何もシェフやってねえよ」
その笑顔を見た瞬、幼い頃に父が話してくれた言葉が、鮮やかによみがえってきた。
――美いものをべたは、ちょっとだけ幸せそうな顔をするんだ。
介護が始まってからというもの、私は病院の待や役所の窓で、かつての私のように疲れ果てた表のたちを何も見かけていた。
族から瞬も目をせず、買い物にすらけない。
介護の準備に追われ、自分の事はカップ麺やパンをったまま流し込んでいる。
もし――。
そんなたちのもとへ、父の作ったような温かくて優しいご飯を届けることができたら。
父が遺してくれたこの技術と厨を、別の形で社会の役にてることはできないだろうか。
度湧きがったいは、もう消えなかった。
、支援センターの面談で、私はい切って倉田さんにその構を打ちけた。
齢者向けの、さなお弁当の配サービスをやってみたいのだと。
倉田さんは、採算や事業計画といった現実な話をするに、まず私の目をまっすぐに見つめてこう尋ねてくれた。
「青さん自は、それをやってみたいですか?」
瞬の迷いもなかった。
「はい。私、どうしてもやってみたいです」
郎と暮らしていた頃は、何かを始めようとするたびに「おには無理だ」「失敗したらどうする」と叩き潰されてばかりだった。
けれど倉田さんは、できるかできないかではなく、まず私のを受け止めてくれたのだ。
それが、私の背をきく押し、やがてを共にするパートナーとなるとの、実質な第歩だった。