"認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会" 第4話
帰りを忘れた父
結婚してが過ぎた頃、厨につ父の様子に、さな違を覚えるようになった。
「お父さん、テーブル席のA定つ、まだがらない?」
のぞき込んだ厨で、父はなぜかB定の皿に千切りキャベツを盛り付けていた。
「え? Bじゃなかったか?」
「Aのハンバーグだよ。伝票もそこに貼ったじゃない」
「ああ……そうだったな。すまんすまん」
最初は、ただの疲れだとった。
お昼のピークなら、注文を取り違えることくらい誰にでもある。
けれどそのは、おかしな違いがいくつもなった。
塩を振ったばかりのフライパンに、もう度塩を振り入れようとする。
すでに刻んでボウルに入っているキャベツをにして、「仕込みがまだ終わってないな」と呟く。
さっき聞いたばかりのお客さんの注文を、分にまた確認しにいく。
ランチタイムを終えてを閉めたあと、私は父に温かいお茶を淹れた。
「お父さん、し休んだ方がいいよ。最、仕込みも全部でやってるから疲れてるんじゃない?」
「そうかもな……なんだか頃、に霞がかかったみたいにぼーっとするんだよ」
父は力なく笑った。
けれど、ふいに私の顔をじっと覗き込んできた。
「ところで都子、おの方はどうなんだ」
「え? 私?」
「郎君とうまくやってるのか?」
を突かれ、臓がねた。
広告
「うん、うまくやってるよ。丈夫」
私は慌てて笑顔を作った。
父は何も言わず、湯呑みを見つめていたが、やがてさく息を吐いた。
「そうか……。結婚してからのお、どこかずっと気を張ってるような顔をしてるからさ。に伝いに来てるだけ昔の顔に戻るから、俺のい過ごしならいいんだがな」
喉の奥がきゅっと締まった。
自分の異変すら曖昧になっている父が、私の張ったを見抜いていた。
その夜、帰宅した郎の晩酌に付きいながら、私はを決して切りした。
「郎さん、私、やっぱりで働きたい」
ビールグラスを傾けていた郎のが止まる。
「また代打の話か?」
「ううん、そうじゃなくて。平の昼もちゃんと厨に入って、お父さんから料理をから教わりたいの」
「……何のために?」
「いつか、を継ぎたいから」
郎の喉から、嘲るような笑いが漏れた。
「お、まだそんなみたいなこと言ってんの?」
「じゃないよ。結婚するときは諦めたけど、やっぱり私、あの仕事が好きなんだよ」
「無理に決まってんだろ」
「どうして決めつけるの?」
「お、何もあのにいたって言っても、やってたのは接客と仕込みの真似事だけだろ。個の経営がどれだけ厳しいか分かってんのか? おにできるわけないだろ」
「だから今から勉するんじゃない。父が元気なうちに――」
広告
「もし赤字垂れ流して借背負ったらどうすんだよ! 俺に迷惑かける気か?」
「失敗するって決まったわけじゃないでしょ!」
郎の目がすっと据わった。
元の箸を、パチンと音をててテーブルに叩きつける。
「おさ、最調子に乗ってないか?」
「……何が?」
「俺に答えするようになっただろ」
を疑った。
「自分のやりたい仕事の話をしてるだけじゃない」
「それが気に入らないんだよ」
郎は肘をつき、え切った目で私を見ろした。
「俺はな、おが親父の狭いしからない、世らずでしい女だったから結婚してやったんだよ」
「……え?」
「自己主張もなくて、俺の言うことだけ聞いてりゃいいとってたのにさ。だ仕事だって、いつまで俺の邪魔すりゃ気が済むんだよ」
優しかった交際のいが、ガラガラと音をてて崩れっていくのをじた。
あの親切も、気遣いも、私を切にしてくれていたからではなかった。自分のい通りにかせる「都のいい女」を元に置いておきたかっただけなのだ。
そのとき、私のスマートフォンが激しく振した。
液晶画面には、見覚えのない固定話の番号が表示されていた。
「……はい、もしもし」
『夜分に恐れ入ります。警察署の者ですが、青裕介さんのご族でしょうか』
全の血が気に引いていくのが分かった。
「父が……父に何かあったんですか!?」
『お怪はありませんのでごください。ただ、駅の公園のベンチで、帰りが分からなくなっていたところを保護いたしまして』
「帰りが……分からない?」
『ご自宅の所や話番号もいせないご様子でした。今から署までお迎えに来ていただけますでしょうか』
通話を切ったも、の奥で械な声が霊していた。
帰りが、分からない。
父が、何も暮らしてきたあのへのを、忘れてしまった――。
茫然とち尽くす私を見て、郎がを鳴らした。
「ほら見ろ。とうとうボケたんじゃないの?」
何も言えなかった。
バッグをひったくるように掴むと、私は郎の制止も聞かず、夜のへ駆けしていた。
警察署の待に座っていた父は、私のっている父よりも、回りもさく縮んで見えた。
「……すまんな、都子」
「丈夫だから。ねえ、病院にこう」
「ただの疲れだよ。ちょっとぼんやりしてたら、が分からなくなっちまってな」
父は力なく微笑んだ。けれどその瞳の奥には、自分でも制御できない恐怖が貼り付いていた。
そして週。
今度は買いしにたはずの父が、何経ってもに戻ってこなかった。