"認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会" 第3話
夫が望んだ妻
婚当初は、専業主婦という暮らしもそれなりに鮮だった。
朝く起きて朝を用し、郎の弁当を詰め、洗濯と掃除を片付ける。午は夕飯の買いしにき、夫が帰ってくるを見計らってお呂を沸かす。
ちっぱなしだったの仕事に比べれば、体はずっと楽なはずだった。それなのに、議なことに、朝から晩まで常に夫の嫌を伺っているような息苦しさが抜けなかった。
「朝飯、まだできてないの?」
ある朝、郎がダイニングチェアを乱暴に引いて座りながら言った。
「もうできるよ、あと分だけ待って」
「座るに並べておいてくれよ」
「今お噌汁よそうから」
「おさ、にいるんだろ? 夫が何にをるかくらい把握しとけよ」
最初のうちは、仕事が忙しくて気がっているだけだとっていた。
けれど、そんなやり取りは常のあちこちで繰り返されるようになった。
「今のネクタイ、どこ?」
「いつもの引きしに入ってるよ」
「俺に探せってこと? 遅刻したらどうすんだよ。このシャツにうやつ、く持ってきて」
またある夜は、帰宅するなり洗面所のドアを乱暴にけて鳴られた。
「呂、まだ沸いてないじゃん」
「今はいつもよりかったから……」
「帰るって連絡入れただろ」
「連絡もらったの、分だよ?」
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「分あればお湯くらい張れるだろ」
つひとつの来事だけを切り取れば、どこの夫婦にもある些細なき違いに見えたかもしれない。
けれど郎は、満をにするたび、決まって同じ言葉で私を縛りつけた。
「おは専業主婦なんだから」
まるで、にいる私は、夫のためだけにスタンバイしていなければならない召使であるかのように。
さらに厄介だったのは、にると、郎が以の「優しくて気の利く夫」に綺麗に戻ってしまうことだった。
父のに顔をせば甲斐甲斐しく私の子を引いて「都子、疲れてない?」と気遣い、私が料理を運ぶのを伝えば、
「結婚してからもお義父さんの伝いをするなんて、都子は本当にできた娘ですよ」
と爽やかに微笑むのだ。父はそんな郎の姿を見て、すっかりしきっていた。
そんなある、父から本の話が入った。
働いてくれているパートの田さんがぎっくり腰をやってしまい、急にけなくなったという。
『都子、悪いんだが……仕込みだけでも伝ってもらえないか?』
そのはちょうど、郎が会社の歓送迎会で午様になると言っていただった。
「いいよ、お父さん。仕込みだけじゃなくてホールも伝うよ」
『郎君の夕飯は丈夫なのか?』
「今はいらないって言われてるから、気にしないで」
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久しぶりにの簾をくぐると、懐かしい匂いが気に胸を満たした。
じっくり炒めた野菜の甘いり、からりと揚がるカツの音、カチャカチャとなるい皿の音。
「あら、都子ちゃん! 久しぶりじゃない」
常連の顔なじみが笑顔で声をかけてくれる。
「最見ないから配してたのよ。すっかり若奥様ね」
「今は助っなんです。すぐ戻りますよ」
「じゃあ、いつものA定ね」
「はい、ありがとうございます!」
体が勝にいた。
注文を通し、料理を運び、厨の父に声をかける。
ほんの数のことだったけれど、押し込められていた肺の奥くに、久しぶりに鮮な空気が巡っていくようながした。
私はやっぱり、この仕事が好きだ。
来ての料理を受け取ったお客さんが見せる、あのふっと綻ぶような笑顔を見るのが、何よりも好きだった。
忙しさに追われ、スマートフォンの通に気づいたのは夜のを回った頃だった。
の固定話がけたたましく鳴り響いた。
「はい、キッチン青です」
『……お、なんでそこにいるんだよ』
く押し殺した郎の声だった。
「あ、郎さん。ごめんなさい。今田さんが急にお休みになっちゃって、お父さんに頼まれて」
『俺、そんなの聞いてないんだけど』
「ごめんなさい。み会で遅くなるって言ってたから、帰ってくるには戻れるとって」
『み会、部の都で延期になったんだよ。腹減らして帰ってきたら、真っ暗な部に誰もいねえし』
平謝りしている私を見て、厨から父が顔をした。
「郎君かい? ちょっと代わってくれ」
父が話で事を話し、ついでに「夕飯がまだならでべていかないか」と誘った。
分、郎は引きつった笑みを浮かべながらにやってきた。
父が揚げたてのミックスフライをすと、いかにも嬉しそうに箸をめる。
「郎君、すまなかったね。もしまた田さんが急に休むようなことがあったら、都子にし伝ってもらっても構わないかい?」
父が申し訳なさそうに切りすと、郎は当たりのいい笑顔を作って即答した。
「もちろんですよお義父さん。困ったときはお互い様ですから。都子がお役にてるなら、いつでも言ってやってください」
父は胸を撫でろして笑った。
けれど――をて、駅へと向かう暗がりに入った途端だった。
郎の顔から、温度がすっと消え失せた。
「……勝な真似してんじゃねえよ」
「えっ……でも、さっきお父さんにはいいって言ったじゃない」
「建だよ建! あんな所で『嫌です』なんて言えるわけないだろ。そんな常識も分からないのか?」
「じゃあ、伝っちゃ駄目だったの……?」
「当たりだろ。おは俺の妻なんだよ。俺のメシより実のを優先する専業主婦がどこの世界にいるんだ?」
吐き捨てられた言葉が、たい氷のように胸へ染み込んでいく。
それでも、すぐに婚という選択肢はい浮かばなかった。
父を配させたくなかったし、自分で選んだ結婚が違いだったと、認めてしまうのが怖かったのだ。
それ以来、でがりなくなると、父は私ではなく郎の携帯へ直接連絡を入れるようになった。
父が何かに勘づいていたのかは分からない。ただ、郎のお伺いをてて「許」をもらいさえすれば、私は堂々とへくことができた。
父のにっている数だけが、息の詰まる結婚活ので、私が私でいられる唯のシェルターだった。