"倒産寸前の事務所が雇った、子連れ清掃員の正体" 第1話
青い作業との学位
京・墨田区の裏。かつて町だった建物の階に、俺——桐(きりゅう・しんいち)が構える「桐デザイン事務所」はある。急な鉄骨階段をがった先にある坪ほどのスペースには、使い込まれた製図台と、褪せたサンプル帳が埃をかぶって並んでいた。
半ばのえ込む朝だった。ガラス戸のアルミサッシがガタガタと音をて、ノックの音が響いた。
「どうぞ、いてます」
引き戸がき、入ってきたを見て、俺はわずちがりかけた。
入ってきたのは、汚れた濃紺の作業にを包んだ柄な女性だった。には擦り切れた布のトートバッグ。そして、そのもう片方のには、ピンクのさなリュックを背負った歳くらいの女の子がしっかりと握られていた。
「あの……すみません。に清掃員の面接のお約束をいただいておりました、瀬と申します」
女性は々とをげた。襟元から覗く首筋は細く、髪は無造作にろで束ねられている。隣の女は怯えた様子もなく、きな黒い瞳で物珍しそうに事務所のをキョロキョロと見渡していた。
「あ、瀬さんですね。どうぞ、そこの丸子に」
「申し訳ありません……今朝、通っている認の保育園で急にをしたお子さんがなって、午で臨休園になってしまって……。
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預けられる寄りもいなくて。やっぱり……子連れじゃ駄目ですよね」
瀬さち子は消え入りそうな声で言い、娘のをきゅっと握り直した。その袋をした指先には、荒れた皮膚と、何かをく握り続けてできたような固いペンダコが見えた。
「面接くらいなら丈夫ですよ。うちもご覧の通りの零細ですから、お気になさらず。お嬢ちゃん、そこのソファに座ってていいからね」
俺がパックのリンゴジュースを差しすと、女は「ありがとう」とさく会釈をして、おとなしくソファに腰掛けた。
「では、履歴を拝見します」
差しされた茶封筒からいつ折りの用を引きし、机のに広げた。
そこにかれた文字を目にした瞬、俺の考は完全に止した。ペン習字のお本のように均の取れた美しい楷。だが、俺を凍りつかせたのはその跡ではなく、学歴と職歴の欄に並ぶ圧倒な文字の羅列だった。
『京学学院 学系研究科 建築学専攻 修士課程修』 『級建築士取得』 『本建築空デザイン賞 優秀賞受賞』 『総設計事務所・都発設計部 チーフデザイナー』
「……瀬さん」
俺は履歴から顔をげ、目のの作業姿の女性をまじまじと見つめた。今歳。化粧気のない顔にはい疲労が刻まれているが、性を湛えた涼しげな目元が、ただ者ではない雰囲気を醸ししていた。
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「はい」
「失礼ですが……これ、本当にあなたの履歴ですか?」
「はい。違いありません」
「の学院をて、級建築士を持っていて、のチーフをやっていた……そんな方が、どうしてうちのような、いつ潰れてもおかしくない雑居ビルのデザイン事務所の、千百円の清掃員に応募してこられたんですか」
さち子は線を膝のに落とし、組んだ指先をぎゅっと握りしめた。
「清掃の仕事なら……過は関係ありませんから」
「過?」
「あ、いえ……何でもありません。ただ、体をかして、指示された所を綺麗にするだけの仕事がしたかったんです」
それ以は何も言いたくないという拒絶の壁が、彼女の周囲に張り巡らされていた。
俺はため息をつき、元のボールペンを回した。
「仕事内容を再確認させてください。募集項にもきましたが、主な仕事はフロアの掃き掃除、拭き掃除、トイレ掃除、それから溜まった資料のシュレッダーがけと段ボールの理です。建築やデザインに関する業務をお願いする予定は切ありません。……それでもいいんですか」
「はい。望むところです」
「以のような、建築の仕事に戻るおつもりはないんですか」
「戻れないんです」
即座に返ってきた言葉だった。だが、さち子はハッとしたように元を押さえ、慌てて言い直した。
「あ……戻るつもりがない、というです。
もう度と」
その横顔には、い悔と、底れない恐怖が張り付いていた。