"貧乏なふりで結婚挨拶へ――彼女の父に正体を見抜かれた" 第1話
古いスーツ
駅の洗面所にある鏡ので、私はもう度、自分の姿を確かめた。
袖がし擦れた濃紺のスーツ。数に買ったきり、最はほとんど袖を通していなかったものだ。靴も普段の入れされた革靴ではなく、つま先に細かな履きジワや擦り傷の残る古いを選んでいる。
首は、妙に軽かった。普段につけている計も、今は自宅のサイドテーブルに置いてきた。
これから恋の実へ結婚の挨拶に向かう男のなりとしては、どう見ても格好で、おかしかった。
普通なら、持ちので番仕ての良いを選び、相の両親にしでも誠実で頼もしい印象を持ってもらいたいと願うのが自然だ。
それなのに私は、わざわざその真逆のことをしていた。
理由は、たったつだった。
希の族が、や柄だけでを値踏みするようなたちなのかどうかを、自分の目で確かめたかったのだ。
私は神優馬、歳。
表向きの肩きは、従業員ほどのさな技術系ベンチャーで、産業械の設計に携わる介のエンジニアだ。料は同代の平均並みで、特別くはない。んでいるのも私鉄の駅から徒歩分ほどの、ごく狭なLDKの賃貸マンションだ。
そこまでは、希にも包み隠さず話してある。
だが、彼女にまだ度も話していないことがあった。
広告
私の父、神征司が、堅製造企業グループである「神グループ」の創業者にして現会であること。
私自も創業の族として、今なおグループの相当数の株式を保していること。
そして数までは、私自も神グループの枢である技術部で、継者候補として働いていたこと――。
その事実を、私は希に、度も打ちけてこなかった。
幼い頃から、私は「神」という名字を聞いた途端にの態度が変する瞬を、嫌というほど目にしてきた。
それまで対等に、あるいは気く接していたが、父の会社の名をった瞬に媚びたような笑顔を浮かべ、言葉遣いを丁寧に改める。学代には、ほとんどを利いたこともなかった同級から「おの親父の会社を紹介してくれ」とすり寄られた。
恋になった女性から、それとなく実の資産状況や所産について探りを入れられたことさえある。
そういう苦い経験をねるうちに、私はが自分自を見ているのか、それとも自分の背にある「神の板と」を見ているのか、分からなくなってしまったのだ。
だからこそ、希と会ったとき、私は最初からについてを閉ざした。
彼女はガードのさな定でも美しそうにご飯をべ、休にれの公園をただ散歩するだけでも楽しそうに笑ってくれた。
広告
私が記に価なレストランへ連れてかなくても、満つ漏らしたことはない。
の交際ので、私は何度もった。
(このなら、丈夫かもしれない)
けれど、いざ結婚となると話は別だった。
夫婦になるということは、本同士だけの問題ではない。相の親や族とも、否応なくく関わりっていくことになる。
もし希の両親が、娘の結婚相を肩きや収、実の柄だけで切りするようなたちだったとしたら――。
そのは、結婚そのものをに戻すつもりだった。
鏡に映るみすぼらしい自分を見つめながら、私は胸の奥に湧きがったさな違を、無理やり押し殺した。
相を試すような真似が、決して誠実な為ではないことくらい、では々分かっている。
それでも私は、自分が傷つくに、全な所から相を確かめておきたかったのだ。
洗面所をて改札へ向かうと、柱のそばに希がっていた。
淡いベージュのワンピースに、のカーディガン。派さはないが、彼女らしい清潔のある落ち着いた装いだった。
「待たせた?」
声をかけると、希は振り返って柔らかく微笑んだ。
「ううん、私も今着いたところ」
そう答えた直、彼女の線がふと私のスーツに落ちた。
次に、し擦り切れた靴のつま先へ。
そして、何もない私の首へ。
瞬だけ、議そうな表が彼女の瞳をかすめた。
「どうした?」
私が平静を装って尋ねると、希はさく首を横に振った。
「ううん、何でもない。こう、もうすぐ来ちゃうから」
それ以、何も追及してこなかった。
その無頓着さに、私は胸を撫でろした。
で並んでホームへがり、りに乗り込む。休の午とあって、内は比較空いていた。
並んで腰をろしたところで、希が私の膝のにある袋に目を留めた。
「それ、実へのお産?」
「うん。駅ビルの菓子で買ってきた」
どこにでもある、ごく般な銘菓の詰めわせだった。老舗の級品でもなければ、特別に気の利いた品でもない。
これもまた、私の図した演だった。
「緊張してる?」
希がからかうように笑った。
「まあ、それなりにはね」
「丈夫だよ。お父さん、昔気質でちょっと無だけど、別に怖いじゃないから」
「にも言ってたね」
「うん。うちは本当に普通のだから、そんなに構えなくて丈夫だよ」
普通の――。
その言葉を、私はので静かに反芻した。
そう言えば希はこれまで、自分の実について具体な話をほとんどしたことがなかった。
父親は会社関係の仕事をしていて、母親は専業主婦。
事に聞いていたのは、本当にその程度のことだった。
私自が実のことを頑なに伏せていた、彼女の実について根掘り葉掘り聞くのも筋が通らない気がして、あえてく踏み込まなかったのだ。
窓を流れる並みを眺めながら、私は今の受け答えをので何度もシミュレーションした。
勤務先を聞かれたら、今のさな技術会社の社名を答える。
収を聞かれたら、額面通りの数字をありのままに伝える。
まいを聞かれたら、築の賃貸マンションだと答える。
嘘はつもつかない。ただ、神という巨な背景だけは、自分からは絶対ににしない。
そうやって相の方を待とうと決めていた。
だが、そのの私はまだにもっていなかったのだ。
自分が仕掛けたつもりだったさな試験が、相ではなく、自分自の浅ましさをのに晒すになることなど――。