"昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由" 第19話
名のない棚
の終わり、私は久しぶりに森渡駅へった。
事用の板で囲まれていた所がき、待がし広くなっていた。古い売のあったところは通になり、がち止まらずに歩けるようになっている。
私はしばらく、その通を眺めた。
私たちのがなくなったからこそ、ベビーカーを押したも、きな荷物を持ったも、以より通りやすくなったのかもしれない。
そううと、悔しさと納得が同に来た。
「宮原さん」
声をかけてきたのは井沢さんだった。
「共同売の準備がみました。旬から、まず個で試してみませんか」
「個ですか」
「売れ残りの数を見ながら、増やせるか相談しましょう」
数料は案のとおりだった。私はで計算し直した。百円の鶏めしを個置くと、全部売れても利益はわずかだ。そこで、駅用には具をし変えた特別弁当を作り、価格と材料費を別に計算することにした。
「値げしたら、昔のお客さんがるかしら」
私が言うと、誠は首を振った。
「何も変えずに赤字で売るほうが、あとで困るよ。説できる値段ならいい」
私は駅の売に置く弁当を、休をに個ずつ作ることにした。平はの注文を優先する。売れ残りがいは数を減らす。駅だけを特別扱いしない。
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そのころ、の壁にはしい予定表が掛かっていた。
曜、曜、曜は野縫製。曜は町役の予約があれば作る。曜はくの医院の職員向けに個。夕方は個以の予約があるだけ。曜は駅の共同売へ量を納める。
すべてが順調だったわけではない。
の注文は度、個まで減った。田品のしい献を試したいが増えたからだ。私は値げをせず、井さんに希望を聞いた。野菜を増やしてほしい、魚のが欲しい、ご飯の量を選びたい。全員の希望には応えられないので、週ごとに献をらせ、までに注文を集めることにした。
注文はしずつ戻ったが、以の個を超えるばかりではなかった。
「競争って、嫌だねえ」
フミさんが言った。
「でも、客が選べるのは悪いことじゃないわ」
私は答えた。
のある、田品の森さんがへ来た。の昼係から、宮原の野菜弁当が評判だと聞いたという。
「今度、うちが忙しいに、し分けて作ってもらえない?」
私は驚いた。
「競争相でしょう」
「競争相だからって、いつも喧嘩してるわけじゃないわよ」
ただし、納品数と値段は厳しかった。私はすぐに返事をせず、誠と原価を計算した。条件のわないは断り、余裕のあるにだけ引き受けることにした。
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「うちの名がなくてもいいの?」
良治が聞いた。
「のがおいしくべてくれて、うちの仕事として成りつなら、それもつの商売よ」
私はしずつ、駅弁という板かられていた。
それでも旬、共同売に初めて個を納めた朝は、胸がいっぱいになった。しい棚はさく、私たちの名も目たない。隣にはパンと菓子が並び、弁当の所は端だった。
「こんなにさくなっちゃったね」
良治が言った。
「さくても、置いてもらえる」
私は箱をえ、個を数えた。
そのの夕方、駅から話があった。
「宮原さん、個、全部売れました」
私は嬉しかった。だが次の曜は個残った。度目は個残った。私は帳面に数字をき、翌週は個に減らした。
昔なら、数を減らすのは負けだとっただろう。
今は、個をきちんと売ることも、を続ける方法だと分かっていた。