"昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由" 第10話
めた
、から個の注文が入った。
のの気予報はだった。私は配送を分め、朝のうちにのタイヤを確かめた。ところがはらず、代わりにたいになった。は混み、のに着いたのは分だった。
「はぎりぎりね」
井さんは言ったが、受け取りはしてくれた。
午、空箱を回収すると、個ほどにご飯が残っていた。いつもなら、残飯を見て量がかったのだろうと考える。だがそのは、弁当をべた女性のが声をかけてきた。
「ご飯、えるといね。朝はおいしいんだろうけど」
私は初めて、自分の弁当を作ってからにべてみた。
のにを聞くとき、私はいつも《おいしかったですか》と尋ねていた。それでは、相はおいしかったとしか答えにくい。井さんに教えられ、今度は《残したものはありますか》《べにくかったものはありますか》と聞いてみた。
「漬物がしょっぱい」
「煮物は好きだけど、汁がご飯に移るのが嫌」
「卵焼きはもう切れ欲しい」
いろいろな答えが返ってきた。全部を度に変えれば、原価もも分からなくなる。私は週につずつ試すことにした。
最初に変えたのは、煮物の汁気だった。ざるにげるをくすると、箱の底が濡れにくくなった。
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次に漬物の量を減らした。フミさんはし満そうだったが、翌週の残飯が減ったのを見ると、何も言わなくなった。
「お客さんの舌は正直だね」
「私たちの舌だって正直よ。ただ、作りたてしかべてなかったの」
私はで笑った。
めたご飯は、確かにかった。鶏そぼろのもし濃い。駅では、朝作ったものがいうちに売れることがかった。では昼まで待つ。私はその違いを、では分かっていたのに、舌で確かめていなかった。
「米の加減を変えようか」
フミさんが言った。
「ご飯を柔らかくすればいいってものじゃない。詰め方も考えよう」
「やって、今さら勉だね」
「そうよ。恥ずかしいくらい」
翌は炊き方を通り試した。ご飯を詰めるを変え、めてからべ比べた。美さんの娘にもを見てもらったが、子どもは卵焼きばかりべて、役にはたなかった。
「でも、この卵焼きなら、子どももべるってことですよ」
美さんは真顔で言った。
その言葉に、私は笑いながらもメモを取った。
方、誠は別の問題を見つけていた。
「田品がにしい値段をしたらしい。百円で、毎違う献」
「うちより円い」
「しかも配送がある。も守れる」
私は黙った。田品は町でく仕しをやっている会社だ。きな厨と配送の仕組みを持ち、病院や会社にも弁当を納めている。
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こちらが悪いわけでも、向こうが悪いわけでもない。
「うちも値げする?」
「それをしたら、料が払えなくなる」
「じゃあ、どうするんだ」
「値段以で選んでもらうしかない」
私は井さんに話し、正直に聞いた。
「うちの弁当、続けてもらえますか」
「は好きよ。でも、いほうがいいってもいる。毎同じものでは困るし、のもどおりに来てほしい」
「分かりました」
「それと、来から残業のい班ができるの。昼だけじゃなく、夕方にもべるがいるかもしれない」
受話器を置いて、私はし考えた。
昼の弁当を百円にするより、夕方に必なのための別の弁当を考えたほうがいいのではないか。
その夜、私は駅の売帳を閉じ、しいノートにの勤務をき写した。
鶏めしのを守ることと、鶏めしだけを作ることは、同じではなかった。