"昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由" 第2話
改札の赤い線
「国鉄がなくなるから、駅弁も全部なくなるって話じゃありません」
岡崎駅は最初にそう言った。
昭、国鉄は分割され、森渡駅はしい旅客鉄会社の駅になる。駅弁の構内営業そのものが禁じられるわけではない。ただ、この駅では改札の売を理し、待を広げ、商品を扱う所を集約する計画がんでいるという。
「しい売に置いてもらうことは?」
「能性はあります。ただ、これまでと同じ条件とは限りません」
駅は、売の面積、搬入、数料について、今担当者が協議すると説した。私たちの今の使用許は末まで。毎更してきたが、今はまだ戻ってこない。
「まだ決まってないんでしょう」
「そうです。だから、めにお話ししています」
岡崎さんは、通を広げたい理由も説した。朝の通勤帯には改札に列ができ、のは傘を畳むと売の客がなる。荷物を持ったが通りづらいという声も、何もからあったらしい。
私は反論できなかった。混んでいる朝、客に弁当を渡すため、私自が通へ半歩たことが何度もある。駅のにとっても、通り抜けるにとっても、困りごとは確かにあったのだ。
私はわず言った。
「めって、あとかしかないじゃありませんか」
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駅は黙った。その沈黙を責めても仕方がないことは分かっていた。岡崎さん自、からどこへ勤めるのか正式な通を待っていると聞いていたからだ。
帰り、私は改札の柱に触れた。弁当の箱を運ぶたび、肩が当たって塗装が剥げた所がある。ここを通るの数がい朝は、箱をつ横へ寄せる。のは元に聞を敷く。そういう細かい決まりを、私は体で覚えていた。
その晩、の卓に図面を広げた。
「通になるなら、しょうがないな」
良治は鏡をした。
「しょうがないって、まだ決まってないわよ」
「決まるに揉めても、相は困るだけだろ」
夫はもともと荷運びの仕事をしていた。腰を痛めてからは、うちの仕込みと配達を伝っている。穏やかなだが、駅のに逆らうことを極端に嫌う。商売は信用だ、とよく言う。
「だったら駅ので売ればいい」
横からをしたのは息子の誠だった。
歳。町の品卸会社に勤め、帰宅するとまず聞の折り込み広告を見る。しいスーパーができたとか、国沿いにが増えたとか、そんな話に詳しい。
「駅の客だけを相にする代じゃないよ。で通るのほうがい」
「駅のにをすには、おがるでしょう」
「その話を、俺はずっとしたかったんだ」
誠は鞄から枚のをした。
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国沿いの空き舗の取り図だった。元は写真で、駐が台分ある。
「持ち帰り専のにする。弁当だけじゃなくて、揚げ物も売る。昼と夕方に客を取れる」
「それ、誰がやるの」
「俺と母さん。もちろん親父も」
私はその順番が気になった。息子の話では、私の仕事がもう決まっている。
「会社はどうするの」
「辞めるつもりだ」
良治が箸を置いた。
「お、正気か」
「駅がなくなるわけじゃない。でも、うちの売り方は変わらなきゃいけない。今ならまだにう」
誠は取り図の端に、赤い鉛で丸をつけた。
駅の図面にも、息子の図面にも、赤い線が引いてある。
違うのは、どちらの線にも、私の見がまだ入っていないことだった。
翌朝、私はいつもより分く駅に着いた。改札をき交うを、初めて客ではなく数として見た。スーツ姿の男、買い物籠を持つ女、制の。弁当を買わずに通り過ぎるのほうが、ずっとかった。
、私は売れた弁当を数えてきた。
売れなかった理由を、数えたことはなかった。