"朝霧湯、最後の暖簾" 第9話
のの
。朝から、空は鉛だった。
正は夜けに起き、設備業者の岸と約束した順でボイラーを点検した。燃料の残量はと変わらない。釜の温度計と配管の状態を確認し、問題がないことを確かめてから点した。
がついた瞬、正はく息を吐いた。灯油の燃える音が、懐かしいもののように聞こえた。
澄子は男女の脱を磨き、千絵は入のを払った。いつもなら忙しいの瀬、は静かだった。窓のにはい粒がい始めていた。
午、宮田が自転でやってきた。荷台に毛布をくくりつけている。
「待つが寒いだろう。うちの余ってるのを持ってきた」
「客に毛布を貸しても、油は増えんぞ」
「分かってるよ。だからしでも寒くないようにするんだ」
正は毛布を受け取った。
「すまんな」
宮田は釜を覗いた。
「終わったら、杯もうぜ」
「が閉まるのに、酒なんかめるか」
「閉まるからむんだよ」
正は笑った。宮田とこんな会話をしたのは初めてだった。
午半、最初の客が来た。若い母親と学の兄妹だった。続いて園田夫婦、島老、ウメも来た。誰もよりく浴へ入ろうとはせず、番台ので順番を待った。
澄子は数を数え、正へ伝えた。
「最初の組、予定どおりね」
「湯温は?」
「確認してる。丈夫」
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正は温度計を見てから、入をけた。
あの、久しぶりに朝湯から笑い声がした。女湯では湯桶のなる音が響き、男湯では島が「やっぱり広い湯はいいな」と言った。正は釜からを澄ませた。
そのとき初めて、客が来ることを数字ではなく音としてじた。誰かが子を引く音。脱籠を置く音。湯に肩まで浸かったが、わず漏らすい息。
を過ぎるとがくなった。予定のに来られないから話があり、千絵は無理に来ないよう伝えた。翌の朝湯の予定と、町の相談窓をいたを渡せるよう用した。
しかし、にいがけない客が現れた。荒井会だった。きな袋を持っている。
「差し入れだ」
袋には蜜柑と、聞に包んだ湯がり用のぬぐいがあった。
「町内会の連で話した。税を使うことには見がある。けど、呂のないが困っているのは確かだ」
正は何と言えばいいか分からなかった。
荒井は続けた。
「使えるがないか、運送にも聞いてみた。勝にを乗せてを取るわけにはいかんから、きちんと町と相談する。今には決まらんがな」
「ありがとう」
正がをげると、荒井は照れくさそうにを振った。
「おののためだけじゃないぞ。俺だって、そのうち呂に入りにけなくなるかもしれん」
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その言葉に、は笑った。
半、燃料計の数字が予定の限にづいた。正は釜で岸の作った注きを確認した。燃料が減るにつれ、余裕はなくなっていく。終業のための分を確保しなければならない。
正は澄子を呼んだ。
「あと組で終わりにしよう。次は入れられん」
「分かった」
澄子は入へ向かい、最に待っていた客へ事を話した。には、を急いで来た若い父親もいた。
「せっかく来たのに、もう終わりなのか」
正はをげた。
「申し訳ない。全に湯を保てるが、もうありません」
男は肩を落とした。
「も休みなんだろう」
「はい。ただ、朝湯の営業と、き方をここにいてあります」
男はを受け取り、黙って帰った。
正はその背を見送った。最の夜だからといって、誰もが満して帰れるわけではない。燃料がないという現実は、謝の言葉をいくら聞いても変わらない。
、ウメが湯がりの髪をタオルで包みながらてきた。
「いいお湯だったよ」
「寒くないか」
「まで温まったよ、なんて気の利いたことを言いたいけどね。寒いものは寒いよ」
ウメは笑い、澄子が用したお茶をんだ。
「でも、今は来られてよかった。ありがとう」
正はうなずいた。ウメはし歩いてから振り返った。
「島田さん。から私はどうすりゃいいんだろうね」
正は、その問いにすぐには答えられなかった。
客を迎えるための最の夜は、客が帰ってからも続いていた。を閉めることと、の暮らしからが消えることは、まったく同じではないのだ。
そのとき、釜からさな警報音が聞こえた。
正はすぐに戸をけた。燃料供が定になり、バーナーが止していた。残量を使い切るまで待ったつもりはなかったが、寒さによる設備の状態も含め、定よりく限界が来ていた。
正は運転を止め、湯温を確認した。幸い最の客はすでにている。岸からを押されたとおり、再点を試みず、始末に移った。
釜の音が完全に消えた。
では、がしんしんとっていた。