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"昭和46年、三日で逃げ帰った兄と消された就職記録" 第10話

丹羽の帳面

先の陳述が届いたあと、私は展示会の主催者へ経緯を報告した。役の担当者は、しばらく黙って資料を読んだ。それから言った。「最初は昔の写真に添えるい説だけだとっていました。こんな問題があったとは」。私は答えた。「全部を展示したいわけではありません。確認された入社先の違いと、誤った記録を訂正することだけで構いません」。

担当者は、展示の写真と説文は残すと約束した。丹羽弘からの抗議には、確認できた資料を示し、個の責任について断定する記述はしていないと回答することになった。私はし堵したが、これで終わりにしたくはなかった。賃と保証の流れが、まだはっきりしないからだ。

川鉄は平成に入るに閉業していた。所にあった建物も取り壊され、旧商業登記だけが残っている。私は当の主の親族を探し、何度もをした。返事はなかったが、ある、で経理をしていたという女性から話が来た。現代半ばの藤文子さんだった。

「昔の働いていた会社のことで、どうしてこんなに調べているのかとってね」

私は経緯を話し、無理のない範囲で話してもらえないか頼んだ。藤さんは迷ったあと、昔の伝票の写しが数枚残っていると言った。

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の片づけを伝った際、賃未払の確認に必かもしれないとって取っておいたものだった。

会った藤さんは、さな字で付と額をいたを机に並べた。「このでは、紹介されて来た若い子の賃を、本ではなく紹介元へまとめて渡すことがありました。私が伝票をかされたんです」。

私は枚を見た。『昭分 紹介実習費』。額が記され、受取先に『丹羽就職援会』とある。ただし、これだけではそのがたちの賃そのものか、何かの数料だったか確定できない。藤さんも「私には全部は分からなかった」と断った。

「平田さんが怪をしたことは、覚えていますか」

藤さんは目を閉じた。「覚えている。あの子は歩けなくなっていた。私が主に病院へかせてくれと頼んだら、紹介元に連絡しろと言われました」。

「紹介元は何と言いましたか」

「『保護者への説はこちらでやる』と。それで、いつまでたっても病院へけなかった。あの子らは怖かったといます」

藤さんはを握りしめた。「私はご飯をしくよそうくらいしかできなかった。今考えると、そんなことではりなかったね」。

私は何も言わずに聞いた。を取ったが反省を語るたび、を取り戻せないことが苦しかった。それでも、藤さんが伝票を保管し、今話してくれることは確かな力になった。

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帰宅すると、千が母と緒に待っていた。母は封筒をつ差しした。「丹羽さんから、先週置いていかれたものだよ」。には切も現も入っていなかった。『今本件について互いに請求をわないこととする確認』という文案があるだけだった。署名欄は空で、母の名があらかじめ印字されていた。

「これに名をけば、昔の借も終わるって言うの」

私はを読み直した。過の支払いの理由は切かれていない。その代わり『関連資料を第者へ提供しない』という項目があった。

「母ちゃん、何もかなくてよかった」

「もう怖くないとっていたけど、あのの名を見るだけで体が震えるよ」

私は母のを握った。「あのころと違う。今は分からないに名をかなくていい」。母は何度も頷いた。

私たちは元の法律相談で、当の保証とたな確認について相談した。相談員は、の銭や労働関係について責任追及にはさまざまな難しさがあること、しかし資料の保と現の利益を避ける判断は別の問題だと説してくれた。私は無理に訴訟を起こそうとはしなかった。兄や平田さんたちが、公に話すかどうかを自分で選べることが切だった。

その夜、私は丹羽弘へ面を送った。展示文の根拠を理したうえで、昭の就職案内に種類の記載があった理由、本が署名していない勤務先変更届の作成経緯、保証の受領記録について、確認できる資料があれば示してほしいと求めた。

期限を区切り、質問はつだけにした。

丹羽弘へ質問を送ったあと、私は、毎朝封筒を待った。返事が来なければ、何も言われなかったことを含めて記録に残すつもりだった。千は「怖くないの」と聞いた。私は「怖いよ」と答えた。町ので丹羽の名は今もきい。商会にもりいがく、学の寄付に関わったという話も聞く。私には派な肩などない。さな図の職員にすぎない。

それでも、今はではなかった。平田さん、さん、沢さん、藤さん、それぞれが自分の話をしてくれた。兄が歳で声をげたとき、そばにそんなたちがいたらと考えることもあった。今からそのを取り戻せないなら、せめて誰かが話すとき、私だけは聞く側でいたかった。

数、弘から返事が届いた。『父の業務について当社は承継しておらず、詳細は』。それだけなら予していた。だが末尾には別の文章があった。『父が保管していた部資料は、過に町の郷資料館へ寄贈済み』。

私はすぐ資料館へ話した。担当者が目録を探し、古い寄贈箱が倉庫に残っていることを確認してくれた。箱には『丹羽旧蔵 就職関係雑』とかれていた。閲覧能な範囲を確かめ、私は千と向かった。

には乗名簿、会社からの、見積、援会の帳面があった。

どのページも状態は悪かったが、昭の欄は読めた。『川鉄 名紹介』。その横に『陽精器 名義使用』と鉛でいてある。さらに別の欄には、紹介料として額が記入されていた。私はわず息を呑んだ。

「最初から、を分けるつもりだったんだ」

千は震える声で言った。「兄ちゃんたちの仕事が変わったんじゃない。親たちに違う説をして、発させたんだね」。

帳面のろには『保護者保証費回収』の覧が続いていた。岸田静の欄には、度の入が記載され、計万千円。母の計簿と致している。ただし、なぜ請求されたのかを裏づける細はない。

さらにその次のに、赤い鉛で『正男の申してにより紹介止。次組名は再照会』とかれていた。誰の跡か分からない。しかし、兄のによって次の就職を止めたことまで、援会自の帳面に残っていた。

私は、そのページを何度も見直した。兄の言葉は、ようやく相側の記録によっても確かめられたのだ。

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