"昭和32年、町中が機を止めた日に織り続けた73歳の女" 第5話
千円の方
ヨシが反のうち反目を織り終えた晩、がり始めた。根瓦にいが積もり、の溝からがあふれた。反は苗が布の端をえ、巻き芯に巻き直してある。残り反。あとで納めねばならない。
苗が台所から言った。
「はを休ませてください。指が腫れてる」
「休ませたら反もがらない」
「納品が遅れると分かったなら、遅れると言わないと」
「沢の息子へ話した。待てないそうだよ」
ヨシは傷を見られたくなくて、のひらを膝に伏せた。布が織りがると、作ったものを自分の目で確かめるびがある。今は反終えるごとに、まだ終わらない仕事のさばかり数えていた。
翌朝、糸の補充を求めて織元へくと、沢の妻・澄が帳にいた。これまでヨシに糸を渡すのは主か息子だったが、澄は几帳面な字で札を作り、反物を量り、継ぎ目を見た。夫よりずっとく仕事を覚えていた、と町のが噂する女だった。
「反ですね。残り反」
「あとで終わると言いたいけど、無理だ」
澄は帳の奥を見て、夫のいないことを確かめてから言った。
「のへ回せば済むことなんですが、今はみんな糸を受けないから」
「それは私のせいだね」
「全部ではありません。でも坂井さんがここまで織ったので、主は問に『部だけでもにう』と言えたんです」
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ヨシは初めて、あの反が町の交渉に及ぼしたさを具体にった。
「問は、部でも受け取るのかい」
「条件付きです。残りが来なければ、次の注文の話もにするそうです」
澄は帳から伝票を枚引きした。問宛の荷予定には反とある。反をヨシ、残る反は別のへ。だが者の欄には鉛で斜線が引かれていた。
「主は、このままじゃ全部断られるとっています」
「だったら値を戻せばいい。女たちは戻ってくる」
「百円で払えば、問からもらうおより、糸代と運賃と賃のほうがくなります。主が嘘をついているわけじゃない」
澄は計算をきした。ヨシには掛け算の部しか追えなかったが、運賃がよりがり、問からの支払いが遅れていることは分かった。
「商売の困り事を、女たちのへ押しつけていいわけじゃないだろう」
澄はし眉をげた。
「それを今、坂井さんが言うんですか」
ヨシは返す言葉がなかった。
午、フキがへ来た。寄りいの代表としてではなく、ひとりで。包みに入っていたのは、以ヨシが貸した糸巻き用のさな鉄の軸だった。
「園子に届けるよう頼まれたの。子どもには持たせられないって」
「ありがとう」
フキはので、巻いてある反物を見た。ヨシは反目の端のゆがみを隠そうとしなかった。
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「ずいぶん苦労したわね」
「目が悪くなった」
「目だけじゃないでしょう」
ヨシは、付の千円のことをもう度話した。今度は、付から病院代を払い、返せるがわずかしかないことまで話した。フキはしばらく聞いていた。
「それなら、今止めたら返せないのね」
「そうだ」
「続けたら、の賃を取り戻す話がますます難しくなる」
「分かってる」
「ヨシさんは私たちに何をしてほしいの?」
その問いにヨシは黙った。代わりに織ってくれとは言えない。を貸してくれとも言えない。自分が正しいとって受けた仕事の始末を、ほかの女に頼むことだけは避けたかった。
「聞いてほしかっただけだよ」
フキは鉄の軸を置いて帰った。玄関をる、ヨシへ振り向かなかった。
ヨシはそのの晩、反目の端を度ほどいていた。指の傷に糸が引っかかり、織り目の浮きを見逃したからだ。ほどいた糸は同じようには使えず、いものを結び直す。縞ではないの布でも、その結び目はの当たり方で見える。売り物にするには余計なが必だった。苗が伝おうとすると、ヨシは「の違う者が触れば乱れる」と言った。だが苗のほうが先に傷を見つけていた。のに置かれた布は、誰が作ったかでなく、どちらの目がよく見えるかを問うているようだった。
ヨシは自分の指が遅くなったことより、苗を頼らない言い訳を繰り返す自分のほうがけなくえた。
翌朝、沢が納品の刻をめたいと言ってきた。問のがを嫌い、予定よりく町へ着くのだという。
「の夕方までに、残りの反を」
「できるわけがない。反だって無理だよ」
「せめて仕掛かり分を。付の精算は、納められた分で計算します」
ヨシは反百円をつ指で数えた。反なら千円。預かった千円を引かれ、残りが支払われる。反しか納めなければ千円、付を差し引けば円。病院のために急いで受けた仕事が、指を裂き、女たちとの約束を壊しながら、現円しか残さない。
沢はヨシの顔を見て、さく言った。
「こちらも苦しいんです」
「ってる」
「でも、にわないなら材料を返してもらうしかない」
ヨシは泣かなかった。泣くには計算がはっきりし過ぎていた。
夕方、信夫が学の袋から枚のをした。先にいてもらったという。そこには、療養のため欠席が続く子の補習について記されていた。の余に、信夫自の丸い字があった。
《のしごとをつだうので、学のしゅくだいをへらしてください》
ヨシは何度も読み返した。
「これ、誰に頼まれた」
「誰にも。ぼくがいた」
「き直しておいで。
学の仕事を減らすな」
「ぼくが糸を巻けば、ばあちゃん、あと反できるよ」
苗が信夫を抱き寄せた。子どもは母親の腕を嫌がり、ヨシのを見ていた。
ヨシはをつに折った。折り目が指の裂け目に触れ、痛みがる。受け取った千円は薬に替わり、にはもうない。までに反は織れない。唯増やせるは、学を休む孫のだけだった。
その夜、ヨシは自分で糸を切った。まだにかかっている縦糸を、端から本ずつ。織るのをやめるためではない。今の仕掛かり分を乱さずし、誰かのへ渡すためだった。
信夫が寝静まったあと、ヨシは呂敷に糸を包み、のへた。
向かったのは、沢のではなかった。