"110億円を相続した妻を捨てた夫――30億円の誤算" 第9話
剥がされた仮面
に額を擦り付け、必の命乞いを続ける元夫と義母の姿を、私はデスクので指を組み、ややかな線で見ろしていた。
数分、部にはのすすり泣きと荒い呼吸音だけが響いていた。誰もちがることを許さず、誰もその懇願に応えようとはしない。やがて、異様な静寂に違を覚えたのか、達也の背が刻みに震え始めた。
「……顔をおげなさい、郷田達也さん、かずさん」
私が鈴を転がすような、しかし絶対零度の気を含んだ声で静かに呼びかけた。
その声を聞いた瞬、達也の肩がビクッとねがった。どこかで聞き覚えのある、しかしこの所でにするはずのない声。
達也は恐る恐る、信じられないものを見るようなきで、ゆっくりと顔をげた。
そして、巨な役デスクの奥、逆のに佇む私の姿を網膜に捉えた瞬、彼の瞳孔が極限まで見かれ、呼吸が完全に止した。
「……え?」
達也のから、乾いた掠れ声が漏れた。
そこに座っていたのは、彼らが「で何の能もない役たず」と見し、着の着のままで追いしたはずの妻——美桜だった。
しかし、その姿は彼らの記憶にある貧相な専業主婦とは似ても似つかなかった。最級の濡れ羽のオートクチュールスーツにを包み、胸元には神堂グループ最統括者の証である純とダイヤモンドの鳳凰章が然たる輝きを放っている。
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その隣には、彼がをげても会うことすら叶わなかったメガバンクの取が、直で控えているのだ。
「み……美桜……? な、なんで……おが……そこに……?」
達也の顔面から、急速に血の気が引いていく。唇がに変し、顎がガタガタと音をてて震え始めた。
遅れて顔をげたかずもまた、デスクの奥の私の姿を認めた瞬、喉を詰まらせて直した。
「あ、あんた……なんでこんなところにいるのよ!? ここは本の財閥の総帥なのよ! あんたみたいな貧乏が入っていい所じゃないわ! くそこからりなさい!」
自らの置かれた状況の異常さを脳が処理しきれず、かずは染み付いた習性のように私を罵倒しようとした。
その瞬、私の傍らに控えていたメガバンクの取が、鳴のようなを轟かせた。
「控えよ、無礼者共がッ!!」
取の凄まじい号が、広な総帥のガラスをビリビリと震わせた。達也とかずは鳴をげてにへたり込み、を塞いだ。
「貴様ら、どなたの御でを利いているのか分かっているのか! こちらにおわすお方こそ、き最顧問より百億円の全遺産を単独継承され、神堂グループ数千社を統べる絶対最統括者、神堂美桜総帥であらせられるぞ!」
「ひゃ……百億……!? 神堂……総帥……!?」
達也の脳内で、これまでバラバラだった現実のピースが、最悪の結末を伴って気に組みわさっていった。
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妻の親族が差し入れていたという億円の定期預担保。
妻が婚届に署名してをた直に執された、メインバンクによる保証の即解除。
そして今、この本経済の頂点に君臨する巨タワーの玉座に、ならぬ美桜が座っているというかしがたい現実。
「あ……ああ……」
かずは、恐怖のあまり完全に考が焼き切れたのか、目を剥いてそのに倒れ込んだ。失禁したのか、彼女の履いていた汚れたスラックスの周りから、のペルシャ絨毯へとじわじわと濃い染みが広がっていく。
私は、をつく異臭にも眉つかさず、をゴミを見るような瞳で見ろした。
「初めまして、郷田達也さん、かずさん。……いえ、元・夫、元・義母と呼ぶべきでしょうか」
私の声が、神の宣告のように静寂の部に染み渡っていく。
「あなた方が『役たずの貧乏神』と罵倒して追いした妻こそが、あなた方の会社をかしていた神堂グループの総帥であり、先週、百億円の資産を相続した張本です」
「嘘だ……嘘だろ……!」
達也は両で自らのを抱え、獣のようなうめき声をげながらを転げ回った。
「そんなの……あり得ない……! おは……ただの……!」
「ただの何ですか? あなたが都よく利用し、がなくなればいつでも切り捨てられる、無力な女だとでもっていましたか?」
私はデスクのの黒革のアタッシュケースを引き寄せ、カチャリとたい音をててつの属製ラッチをした。