"昭和44年、終電後に消えた駅員――28年目に見つかった記録" 第12話
終のあとに残ったもの
父のをいたのは、翌朝だった。
母が朝の支度をしている、私はで居に座った。
封筒のには、便箋が枚入っていた。
付は昭。
父が失踪する週だった。
『美緒へ』
最初のを見ただけで、胸がいっぱいになった。
『おがきくなるころには、父さんの仕事のこともし分かるようになっているとう』
『駅の仕事は、毎同じことの繰り返しに見えるかもしれない。でも、同じ刻に列が来て、同じようにが帰っていく。それを当たりにするのが、父さんたちの仕事だ』
父らしい文章だった。
子どものころ、私は父の仕事を退屈だとっていた。
改札で切符を受け取り、発の図をし、荷物を運ぶ。
毎、同じことばかり。
父にそう言うと、父は笑っていた。
『美緒が学へくのも、誰かが帰ってくるのも、当たりだとえるほうがいいんだよ』
は続いていた。
『は、違えることがある』
『父さんも、これまでに何度も違えた。仕事をしていると、分かっていても言いせないことがある。勢が丈夫だと言うと、自分だけが違っているような気がすることもある』
『でも、本当に危ないとったときは、黙っていてはいけない』
私は便箋を持つを止めた。
父は、失踪する週から何かを悩んでいた。
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全報告へ署名するのことだ。
もうそのころには、の補修事に疑問を持っていたのかもしれない。
『美緒。おがきくなって、誰かに違っていると言われたとき、すぐに自分を嫌いにならないでほしい』
『自分が本当に違っていたなら、直せばいい。そうでないなら、ちゃんと確かめればいい』
最のには、しだけ鉛の跡が濃く残っていた。
『父さんは、おが自分の目で見て、自分の言葉で話せるになってくれたらうれしい』
私は便箋を膝に置いた。
、教で父を棒だと言われたとき、私は何も言い返せなかった。
父を信じたいといながら、どこかで疑っていた。
自分の名字さえ、恥ずかしいとったことがある。
でも、父はずっと昔から、私が自分で確かめることを望んでいた。
私はようやく、そのをし理解した。
母が居へ入ってきた。
「読んだの?」
「うん」
私は便箋を渡した。
母は鏡をかけ、ゆっくり読み始めた。
最まで読むと、し笑った。
「修らしいわね」
「そう?」
「ええ。あの、何かを教えるとき、いつも自分の失敗から話すのよ」
母はを折り畳んだ。
「あなたがさかったころ、修が駅で切符の枚数を数え違えたことがあったの。帰ってきて、ずいぶん落ち込んでいたわ」
「お父さんが?」
「そう。あなたに『お父さんも違えるの?』って言われて、困った顔をしていた」
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私はわず笑った。
そんな父の顔を、今なら像できる。
そのの午、私は旧駅へ向かった。
駅舎の解体事は、すでに半分ほどんでいた。
根は取りされ、改札もなくなっている。
それでも、ホームの端には古い駅名標が残されていた。
『栃倉』
私はそのにった。
昭。
父はここで、午分の最終旅客列を見送った。
あの夜、駅の灯りはきっとかっただろう。
がり、からが吹いていた。
父は、いつものようにホームにっていたはずだ。
最終列がきし、赤い尾灯が暗へ消えていく。
それを見送ったあと、父は事務へ戻り、危険なのことを考えた。
もし駅に従って、そのまま帰っていれば。
もし、赤いランプを持ってへかなければ。
父は、今もきていたかもしれない。
そんなことを考えても、もう答えはない。
けれど、父があの夜に何をしようとしたのかは、分かった。
誰かの帰りを守ろうとしたのだ。
、町では旧駅の部を保することになった。
建物全体を残すことはできなかったが、改札の製の柱と、真鍮の鐘、それに駅名標が域資料へ移された。
私は、町の依頼で資料の理を伝うことになった。
古い乗券、刻表、駅員の写真。
それぞれの代を確かめ、説文をつける仕事だった。
印刷会社で続けてきた正の経験が、こんな形で役につとはわなかった。
私は松本の仕事を続けながら、週の何かを町で過ごすことにした。
母のも、しずつ客が戻ってきた。
「もう無理して働かなくていいのに」と私が言うと、母は笑った。
「をかしているほうが落ち着くのよ」
母は、父の写真の横にさなを飾るようになった。
以は、父が帰ってくるかもしれないといういが、ののどこかに残っていた。
今は違う。
父はもう帰らない。
そのことを受け入れるのは、しかった。
けれど、待ち続ける苦しさから、母はしずつ解放されていった。
ある、町の学から、昔の鉄について話をしてほしいと頼まれた。
私は最初、断ろうとった。
子どもたちので父のことを話す勇気がなかったからだ。
けれど母が言った。
「美緒。今のあなたなら、自分の言葉で話せるでしょう」
私は引き受けることにした。
当、教にはほどの子どもたちが集まっていた。
私は古い駅の写真を見せ、昭の鉄の仕事について話した。
蒸気関がっていたころの話。
駅員が作業で切符を確かめていた話。
夜遅くまで荷物を運ぶ貨物列があった話。
そして最に、父のことをしだけ話した。
「昔、この町の駅で働いていたがいました」
子どもたちは静かに聞いていた。
「そのは、ある夜、危ない所へ列が入らないように、赤いランプを持って線へ向かいました」
の男の子がを挙げた。
「そのは、どうなったんですか」
私はし考えて答えた。
「事故でくなりました」
教が静かになった。
「でも、そのが何をしたのかは、いあいだ正しく伝わっていませんでした」
私は、子どもたちの顔を見渡した。
「だから、私は昔の記録を調べました。から聞いた話だけでは分からないことが、たくさんあったんです」
授業が終わると、の女の子がづいてきた。
「先」
「なあに?」
「その駅員さんは、先のお父さんですか」
私はうなずいた。
「そうよ」
女の子はし考えてから言った。
「お父さんのことが分かって、よかったですね」
私は笑った。
「ありがとう」
舎をると、の空がくれていた。
駅のあった方向から、子どもたちの声が聞こえてくる。
私は帰り、域資料へち寄った。
展示ケースには、父の写真が飾られていた。
説文には、こう記されている。
『杉原修。旧国鉄瀬線・栃倉駅勤務。昭、号付の危険をらせるため、臨列の止に尽力。その、事故により。にわたり失踪の経緯が誤って伝えられていたが、平成、関係資料と証言により事実がらかになった』
私はその文章を、何度も読み直した。
、父の名は聞の片隅に載った。
『駅員、売とともに失踪』
それが、私たち族のを変えた。
今、父の名は別の形で残っている。
完全なだったとはかれていない。
英雄だともかれていない。
ただ、あの夜に何をしたのかが、事実として記されている。
私は展示ケースので、さくをげた。
「お父さん。やっと、帰ってきたね」
窓ので、夕方のが々を揺らしていた。
昔のように、くから汽笛が聞こえることはない。
それでも私には、赤いランプを持って暗い線へ向かった父の姿が、はっきりと見える気がした。
私はもう、父の名字を恥ずかしいとわない。
そして、これから誰かの話を聞くときも、簡単に決めつけないでいようとう。
には、表になかったがある。
誰にもられず、違え、悩み、それでも何かを守ろうとしたがある。
父が終を見送ったあとの、あのいのように。
私は資料の扉を閉め、母の待つへ歩きした。
夕飯の支度をするには、まだしかった。
今は母の好きな煮物を作ろう。
そんなことを考えながら、私はを急いだ。
(完)