"「妻に休んでほしい」退職夫が勝手に決めた私の人生" 第3話
「で」の写真
「お昼のことなら、蔵庫にある物でべられるでしょう」。私が言うと、夫はそうに腕を組んだ。「飯だけの話じゃない。せっかく退職したのに、夫婦が別々にく必はないだろう」。私は曜の午に夫と何かをする約束があったか考えたが、い当たらなかった。
「緒にかけるなら、別のを相談しようよ。曜はもう申し込んだの」
「そんなに急がなくても、落ち着いてからでいいだろう」
その言葉には覚えがあった。子供たちが幼稚園に通っていた頃、私は裁教に通いたいと言った。夫の転勤が決まったばかりで、「落ち着いてから」と諦めた。転居先でようやく教を見つけたときには、義母がを悪くして通院の付き添いが始まった。次の「落ち着いてから」は、子供の受験が終わってからだった。
夫が族を養うために働いていたことは、もちろん分かっている。けれど、そのの暮らしを止めないために、私にも諦めた予定があった。私の諦めはいつもさなこととして片づけられ、積みなると自分でも数えられなくなった。
「落ち着くのを待っていたら、また何も経っちゃうよ」
夫は返事をせず、聞を取りにった。私は鍋のを止め、しばらく窓のを見ていた。庭の鉢植えには植えたローズマリーが残っている。
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葉を枚摘んで指先でこすると、清々しいりがした。今を気持ちのいいにしたかったのに、朝から自分の言葉がのに居所をなくしているようだった。
昼に真帆夫婦が到着した。真帆は束を抱えて「お父さん、いお疲れさま」と笑った。夫はうれしそうにを受け取り、何度も包みを眺めた。その姿を見て、私の胸もし温かくなった。働き続けたを族に祝ってもらえるのは、やはりいいことだ。
し遅れて健太が来た。里奈は買ってきたおかずの袋を台所へ運び、「どのお皿に移しましょう」と聞いてくれた。真帆の夫は器を並べ、孫は祖父の束のリボンを触りたがった。誰も伝わないわけではない。ただ、どこに何があるか、何を先にすかを判断する役目は、いつも私だった。
孫の椀はしましておく。刺はべる直まで蔵庫へ。数分の箸がそろっているか、み物がりるか。私はつ片づけるたび次のことを考えた。ようやく席へ向かうと、私の子に夫の着が置かれていた。
「それ、どけてくれる?」
「ああ、まだ座らないとって」
夫は着を別の子へ移した。まだ座らないとったのではなく、私が座るを考えたことがなかったのだろう。そう気づいた瞬、私はし疲れた。
真帆が「先に枚撮ろう」
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とスマートフォンを構えた。私は盆を置いて族の方へ向かったが、真帆は「お母さんはで緒に撮ろうね」と言った。責める気にはならなかった。真帆だって、私が最に席につくの景を見て育ったのだから。
真帆がまだ学だった頃、学で族の絵を描いたことがあった。そこには夫と子供と犬がいて、私は台所のさな窓の向こうに描かれていた。娘は「お母さんはご飯を作ってるところ」と得そうに説した。私は笑って褒めたが、その絵のことを々いす。族のにいるのに、同じ所にはっていない。それを変だとじるまで、ずいぶんがかかった。
数の集まりで、孫が描いた絵を見せてくれたことがある。私はにかけた鍋が気になり、「でゆっくり見るね」と言った。ところが事が終わる頃には孫は眠ってしまい、絵はそのまま鞄へ戻された。あのときの「今度でいいよ」というさな声が、今も忘れられない。
夫は束を持って笑った。「いいんだよ。母さんは世話してる方が楽しいんだから」。私はその言葉に返事をしなかった。写真のでみんなが笑うのを見ながら、今は自分の席に座ろうと決めた。