"本当の家主" 第1話
油まみれのリビングと45歳の居候
夜のを回った頃、のり子は鉛のようにい取りを引きずりながら、自宅の玄関ドアをけた。の夜が背を押すように吹き込み、いたドアの隙からのの空気を揺らす。、会社の経理部で決算期の細かな数字や膨な伝票と格闘し続けた目は激しく霞み、パンプスのの先は鬱血して靴擦れがじんじんと痛んでいた。今ののり子が切実に望んでいたのは、ただやかんで温かいほうじ茶を沸かし、静まり返った部で張り詰めた神経を休めること、それだけだった。
しかし、玄関のがり框にを踏み入れた瞬、腔を突いたな異臭にのり子のがピタリと止まった。
酸を帯びたぬるいビール粕の匂いと、酸化した油、そして腐敗しかけたチーズの悪臭が混じりい、められた空気とともに廊の奥から苦しく漂ってくる。普段のがでは決して漂うはずのないその異臭に、胃の底がえ切るような嫌な予を覚えながら、のり子はリビングへ通じるすりガラスの引き戸にをかけた。
扉を引いた瞬、目のに広がっていた景に、のり子はが目を疑った。
無垢材にこだわり、素で歩いたときのよさを切にして選んだオーク材のフローリングのに、デリバリーチェーンのピザの空き箱が何層にも積みなり、が見えないほど散乱していた。
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ローテーブルのガラス板には、乾ききって黒ずんだトマトソースがこびりついた皿や、み残しの濁ったビールが入ったグラスが無造作に放置されている。面にこぼれ落ちたポテトチップスの破片やタコスのクズが踏み荒らされ、どこにもをろす隙すらない。
そして、そのゴミのので、がけの布張りソファーをで占領し、横たわっている女がいた。夫・誠の妹であり、義妹の美だった。
今で歳になる美は、ヨレヨレの派なスウェット姿でソファーに寝転び、スマートフォンの画面を指先でスクロールしながら、テレビの夜バラエティ番組を見て品な笑いをげていた。のり子が部に入り、呆然とち尽くしている気配に気づいても、起きがろうとする素振りすら見せない。
「あ、お義姉さん、お帰り〜」
反省のなど爪の先ほどもない、延びした甘ったるい声だった。
「……美さん、これは体どういうことですか?」
疲労の極致にあるのり子の声は、かすれてく震えていた。
「どうって、見れば分かるでしょ? 今、昼から友達呼んでうちでパーティーしてたのよ。すっごく盛りがっちゃってさ。さっきみんな終で帰ったところ」
美はスマートフォンから線をげることすらなく、の指先を器用にかして、のり子が独代から切にしてきたシルクのクッションを無造作に引き寄せ、自らの脂ぎったのに敷き込んだ。
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美はを卒業して以来、定職に就いたことがない。アルバイトを始めても「関係がわない」「が気だ」と数週で辞め、実に寄し続けていた。、のり子と誠がこのを築した際、「広いなんだから、独の妹を暮らしさせるのはかわいそうだ」という義母のな主張と夫の泣きつきによって、居候として転がり込んできたのだ。
「友達を招くのは構いません。でも、自分たちがしたゴミくらい、自分たちで片付けてください。ここはみんなが使う共用スペースなんですよ」
のり子がを抑えて静かに告げると、美はげさに井を仰ぎ、わざとらしいきなため息を吐きした。
「えーっ? なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ。散らかしたのは友達も緒だしさ。第、事は専業主婦……じゃないや、にいる女の仕事でしょ? お義姉さん、私そういう汚いの片付けるの苦なんだよね〜」
歳の成熟したが、まるで駄々をこねる幼児のような調で吐き捨てた。
「それにさ、昼来た友達もみんな言ってたよ。『優しくて何でもやってくれるお義姉さんがいて羨ましい』ってさ」
優しいのではない。都のいい召使として徹底に搾取されているだけだという事実に、美は気づいていないふりをしているのだ。
のり子はコートを脱ぐことも忘れ、元に転がっていたビールの空き缶を拾いげた。缶の底に残っていたぬるいアルコールが指先にこぼれ、ベトベトとしたな触が皮膚にまとわりつく。
「あ、お義姉さん、ついでにそこにあるウェットティッシュ取ってよ。ポテチ触ってが油っぽくなっちゃった」
美はソファーから顎で指図した。のり子が無言のまま、テーブルの端に残されていたケースを差しすと、美は礼の言葉つにせず、数枚を気に引き抜いて指先を拭き、丸めたゴミをそのままへ放り投げた。
「ああ疲れた〜! 遊ぶのって本当に体力使うよね!」
労働の汗など滴も流したことのない女が、あくびをしながら伸びをする。のり子は胃の奥が雑巾のように絞られる痛みを覚えながら、い取りでキッチンへと向かった。そして、ステンレスシンクのを目見た瞬、めまいに襲われてシンクの縁にすがりついた。
シンクのには、パーティーで使い散らかされた皿やガラスボウル、フライパンが、崩落寸ののようにうずたかく積みげられていた。乾ききったチーズがこびりついた皿、油とドレッシングがギトギトに固まった取り皿、ケチャップが干からびた調理器具。コンロの徳の周りには、吹きこぼれたスープが焦げ付いて異様な異臭を放っている。
「……こんなの、誰が片付けるっていうのよ……」
「あ、そうそう、お義姉さーん!」
絶望に打ちひしがれるのり子の背に、リビングのソファーから美の図々しい声が追い討ちをかけてきた。
「さっきまでお菓子ばっかりべてたからさ、なんだかちゃんとしたご飯べたくなっちゃった。今の夕飯、まだ作ってないんでしょ? 私、ハンバーグがいいな。蔵庫に挽き肉あったよね? 根おろしをたっぷり乗せて、ソースにしてね!」