"「嫁は廊下で寝ろ」私が二度と帰らなかった理由" 第8話
親戚に送られた枚の写真
を過ぎた頃、枕元のスマートフォンが震えた。
親戚のLINEグループだった。
義母、義父、孝介、私のほか、義母の妹夫婦や従兄弟など、ほどが入っている。普段は正の挨拶や誕写真程度しか投稿されない静かなグループだ。
通をいた瞬、私は息を止めた。
廊に積まれた私の布団の写真だった。
敷布団と掛け布団、枕、毛布。にはパジャマ。横にはから廊へされていた装ケースと化粧品の箱まで写っている。
義母が過ぎに撮った写真だった。
そのには文章が続いていた。
《嫁がしました。仕事ばかりでのことは何もしないで、布団は廊にしてあげたのに。部なんて贅沢でしょ》
見ているに既読が増えていった。
最初に反応したのは義母の妹・佳代さんだった。
《あらまあ。今どきのお嫁さんは変ね。姉さんも体壊さないでね》
義母はすぐ返した。
《ありがとう。私がすればいいのよ》
していたのはどちらなのだろう。
さらに義母はいた。
《孝介もかわいそう。さい会社のくせに社気取りで遊んでるのよ。社員なんて何いるのかしら》
百いる。
今夜も締め処理のため遅くまで残ってくれた社員がいる。
しかし私は何もかなかった。
次に投稿したのは孝介だった。
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《お騒がせしてすみません。うちのが拗ねてていっただけです。朝には戻るとうんで》
最に笑顔の絵文字がつ。
夫は、妻の布団が廊にされた写真のに「拗ねただけ」といた。
その文を何度も見た。
義母が嘘をいたことより、孝介がそこへ名を貸したことの方が苦しかった。
そして分。
義母がもうつき込んだ。
《母親が夜まで働くで育つと、庭ってものが分からないのね》
指先がたくなった。
結婚の事会で、義母は私の庭環境を尋ねた。
父をくくし、護師の母に育てられたと話した。
「変だったのね」
あのはそう言った。
母は夜に帰ることがあった。
けれど私は、その母を恥ずかしいとったことなど度もない。
母が夜まで働いたから、私は学へけた。会社を始めることもできた。
学の頃、母は笑って言ったことがある。
「働く女の帰りを『お帰り』って待ってくれるが、いつかあんたにもできるといいね」
義母は、私が最も傷つく所をっていて踏んだ。
返信欄へ指を置いた。
こうとえば、いくらでもける。
義母の病院予約をしたのは私。
お元を選んだのも私。
用品を注文したのも私。
通帳を記帳したのも私。
しかしかなかった。
代わりに画面をすべて保した。
半、孝介から個LINEが届いた。
《母さんに謝るまで帰ってこなくていいから》
続けてもう通。
《どうせ朝には泣きついてくるだろ。鍵置いてったのはわざとか。そういうとこだぞ》
私は既読だけをつけた。
返事はしなかった。
付が変わるし、義母が最にいた。
《朝になって謝りに来たら許してあげるつもり。嫁のしつけも姑の仕事ですから》
私はスマートフォンを伏せた。
廊に布団をす。
写真を撮る。
親戚へ見せる。
それを「しつけ」と呼ぶたちのに、もう戻る理由はなかった。
午、私は真柴先へ送るメールのきをした。
そして朝。
分。
着信音で目を覚ました。
画面に表示されていた名を見て、私はベッドので体を起こした。
話をかけてきたのは、仙台にいる義父だった。