"疎開から戻った娘が、再び村へ帰りたがった理由" 第5話
よその子になる
ふさはを座敷へ通した。幸子が以使っていた茶碗が、棚のに置かれている。煤けた井、鉢の、庭を横切る鶏。文には初めてのだが、娘はどの物にも慣れていた。
「幸子が、たいへんお世話になりました」
文がをげると、ふさもく礼を返した。
「こちらこそ。あの子がいてくれて、千代はよく笑いました」
声が震えていた。文は、目のの女が決して娘をたく扱ってきたではないとじた。ふさのには針だこがあり、指の節は太くなっている。く働いてきただった。
幸子は久しぶりの台所で、箸がどこにあるか迷わなかった。ふさが「湯呑みをつしておくれ」と言うと、つ余計にしてしまい、慌てて引っ込めた。まではへ疎していた別の男の子も同じ卓に座っていたのだ。今は京へ帰り、居所は空いている。ふさはその湯呑みを見て「いいよ、ついでにお茶を入れておこう」と言った。
文は幸子の元を見つめた。京のでは、娘は器の置き所さえ何度も尋ねた。だがここでは箸をかすにも、薪をすにも、ふさの顔を見るだけで通じる。幸子はまるでく暮らしたへ帰ってきたのようにいていた。
台所の柱には、背比べの線が本残っていた。千代と幸子と、もう京へ戻ったの名がさくかれている。
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幸子はその線へ指を当て、「千代ちゃん、また伸びたね」と笑った。千代はぶでもなく、「きくなったら、よそのでも働けるってお父ちゃんが言った」とにした。
ふさのが止まった。幸子は「そんなこと、言わないで」と言いかけたが、文は娘の袖をそっと引いた。父の言葉が本当にそうだったのか、千代がどう受け取ったのか、まだ分からない。たった言のが、と子どもではまるで違うことがある。文はそれをこの旅で確かめたいとった。
夕の支度が済む頃、主の栄蔵が田から戻った。を過ぎた男で、焼けした顔は疲れている。幸子を見ると「よく来たな」と言ったが、文が千代のことを切りした途端、眉に皺を寄せた。
「女がらせたのか。わざわざ京からを呼ぶ話じゃない」
「娘が気にしています。まず、お話だけでも」
「千代は俺の妹のへく。向こうには娘がいない。学へも通わせると言っている」
幸子がを乗りす。
「でも、千代ちゃんはきたくないって言ってた!」
栄蔵は箸を置いた。「幸子、おには世話になったが、ここはうちのことだ」と言う。その声にふさが顔をげた。
「きたくないって、あの子が言ったのは本当です」
「なら、どうしろと言う。田は広くない。から米もったほど取れん。婆さまは寝たり起きたりだ。
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おのもまた腫れている」
ふさの首には布が巻かれていた。疎児童のの繕いと畑仕事がなったに痛め、いまだにく縫うとを持つという。
「妹のへけば、千代に飯はわせられる。学もかせると約束している。うちにいて、あの子がいつも伝いばかりするよりはましだ」
栄蔵の言葉には、娘を厄介払いする響きばかりではなかった。本なりに考えた末の決断なのだろう。文はすぐに言い返せなかった。
事の、ふさは千代に庭のを汲むよう頼み、だけになった。
「千代を迎えに来たと、幸子ちゃんは言ったそうです」
文はうなずかなかった。「約束を聞きに来ました。勝に連れていくつもりはありません」と答えた。
栄蔵は肩の力を落とした。
「なら、どうかあの子にもそう言ってやってくれ。京へけば幸子と暮らせるとい込んでる。おたちのだって楽じゃないだろう」
幸子の頬が赤くなった。
「わたし、京へ連れていくって言ってない。お母さんと緒に考えに来るって言ったの!」
「子どもの言葉を、子どもはそう区別しないんだよ」
文ははっとした。自分も京で、帰ってきた娘に「ずっと緒」と言った。つののはそれぞれ、守れないかもしれない言葉を子どもへ渡していたのだ。
ふさが奥からさな箱を持ってきた。
には赤い糸、よく研いだ縫い針、丸く磨り減った指ぬきが収まっている。
「幸子ちゃんに渡すはずだった物です。千代と緒に作ったお礼の品で。帰るに喧嘩になって、渡せなくなりました」
その指ぬきは、昔ふさが仕で働いていたに使ったものだった。幸子がで初めて子どもの袖を繕えた、ふさは「京へ帰っても、いつか役につ」と言っていた。
「私が縫い物をしていたのは、嫁に来るです。今は直す布も、をすもない。疎の子がいたは、ほつれ物が毎あったけれど」
文は納に古い踏みミシンがあると聞いた話をした。栄蔵は首を振る。「何もかしとらん。紐も切れ、釜も錆びた」と言った。
「見せていただけますか」
「いたところで、誰がを払う。都会の事とは違う」
「それも含めて、見たいんです」
納の隅で、ミシンは古い筵をかぶっていた。黒い胴に模様がく残り、踏み板にはが積もっている。文は針棒に触れ、で輪をし回した。油切れの音がしたが、芯は折れていないようだった。
「くかもしれません」
幸子の目がるくなる。千代は暗がりから顔をし、「お母ちゃん、縫える?」とふさに尋ねた。
ふさは答えられなかった。栄蔵だけが「にならんと言っとる」と繰り返した。
夜、は昔幸子が寝ていた部へ布団を敷いてもらった。
幸子は眠りかけながら、「、ミシンを見ようね」と言った。文は、自分が次の注文を渡す約束のまで、もう半しかないことを数えた。
け方、敷の鶏が騒いだ。廊をる音がする。ふさが襖をけた。
「文さん、千代を見ませんでしたか」
歳の娘が寝にいないという。枕元の呂敷も、用の履も消えていた。
幸子は起きがった。「まさか、もう親戚のへ?」と言う。
ふさは首を振った。
「くのは、今の昼のはずでした。迎えのが来るに、あの子はでてしまったんです」