"昭和21年、米を没収された母が引き返した理由" 第5話
夫の名
「今、話したことは誰にも言わんといてください」。藤岡は封筒を取り返そうとした。澄子はをさず、「主が何を運んだか、それだけは教えて」と頼んだ。の男はからかない。川面に灯が揺れ、流から流れてきた屑が段へ引っかかった。
「乳の箱です。途から空の箱に積み替えさせられました。清さんはって、俺だけでも母子寮へらせにくと言うたんです。でも、そのに運送の親方が来て……」
「何をしたん」
「清さんに、次から仕事を回さんと言うたんです。あのは皆、の仕事が欲しかった。俺も止められへんかった」
藤岡はのことを語った。赤井運送は駅から荷を引き取り、いったん郊の倉庫で仕分けしていた。乳と晒し布の箱の部は、倉庫で別の荷へ載せられた。清は戻すように言ったが、主は「届け先が変更された」と答えた。その変更を示すには、本の稲穂の印があったという。
「清さんは、そのに名をいたん?」
「最初の荷を受け取ったにはいてます。そこまでは普通の仕事やったから」
「途で違う所へ運ばれたと分かって、どうしたん」
「あとで役所へ話すと言うてました。けど、のことがあるから、すぐにはけんかったんやといます」
澄子は膝に力が入らなかった。夫は何もらなかったわけではない。
広告
から今まで、母子寮で何が起きているのか像できたはずだった。だが清のの傷、仕事がないときの暗い顔、茶碗に残った芋の皮までい浮かぶと、簡単に責める言葉もてこなかった。
藤岡は最に「あの女将さんにも気をつけて」と言った。「さんか」と尋ねると、彼は頷いた。「あのの息子、組の荷運びをしてた。印箱がなくなった晩も倉庫にいたんや」。澄子は絹がなぜ悟へ箱を持たせたのか、初めてつの筋をいついた。自分で警察へ持ち込めば息子をかばえない。らない母子に持たせれば、組のからた証拠ではなくなる。それが狙いだったのかもしれない。
へ帰ると清はまだ起きていた。子と子どもたちが眠っているのを確かめ、澄子は机へ封筒を置いた。「今夜、藤岡さんと会うてきた」。夫はすぐには触らなかった。「の荷のこと、ってたんやね」。澄子が言うと、清は座り直した。
「ってた。途で荷をろされたことも、届け先が違うことも」
「なんで言わんかったの」
「役所へ言いにこうとしたで。でも、赤井が仕事を止めよった。ほかの運送にも俺の名を回すと言われた。あのころ、うちはうもんがなかったやろ」
「今もないわ」
清は俯いた。澄子は夫に隠してきたことをつずつ話した。絹から米を譲られたこと、悟にらない箱を持たせたこと、警察へ戻ったこと。
広告
そのたびに清の顔がくなる。「絹さんは、うちが困ってるのをってた。せやから米を渡して、そのに箱を入れた」。澄子は初めて言葉にした。「あの、私が捕まってもよかったんやろか」
「違うかもしれん」と清は言った。「あの印箱を持ってたら、のが調べられる。そしたら息子の仕事も全部てまう。あのは誰かに運んでもらいたかったんや」。澄子は腹がった。「分からんことを勝に都よく言わんといて」。夫がかばう相を違えているようにえた。
翌朝、澄子は悟を子に預け、田を訪ねた。藤岡から聞いた話を伝えると、巡査はすでに運送を調べ始めていると言った。封印の具が組の物だと分かり、違う荷の封を同じ印で付け直せることがだった。「実際に運んだ品が何か、確認しなければならない。あなたのご主にも話を聞くことになります」。その言葉は、澄子が覚悟していたよりかった。
「清は荷を盗んだんですか」
「まだ決めていません。途の荷扱いをっていて、何もしなかったことと、盗んだことは同じではない。ただ、名をいた以は説してもらわなければ」
澄子は頷いた。田は机の引きしからをし、「昨、もう枚の送り状が見つかった」と言った。それは赤井運送の保管類に挟まっていた写しで、の荷がどこへ送られたことになっているかを記したものだった。
澄子は最初の数を読んだが、字が揺れて見えた。
「千鳥母子寮へ届けたはずの乳、箱。その受け取り先が、違う名になっていたんです」と田が説した。
「誰の名ですか」
田はをこちらへ向けた。受取所は阪内、澄子たちが暮らすの所だった。そして受領者の欄に、確かに『森川澄子』とかれている。そのには、夫・清が荷仕事のに使う角ばった字で『森川清』と署名されていた。
澄子は目をせなかった。米袋のの鉄箱は、ただの拾い物ではない。母子寮から消えた箱のき先を、誰かが自分たちのにしていたのだ。
田は声を落とした。「今の午、あなたのを確認させてもらいます。ご主も同席してください」。澄子が顔をげた、交番の計はを打とうとしていた。には子と悟と千代だけがいる。今すぐ帰っても、警察より先に着けるか分からなかった。