"庭付き新居に押しかける長男夫婦、引越し当日に絶句" 第3話
妹を敵にした祖父母
夫からの返事は、謝罪と励ましだった。
『本当にすまない。次の帰国まで何とか耐えてほしい。帰ったら必ず話をする』
夫もで仕事に追われていた。
すぐに帰ってきてほしいとは言えなかった。
だから私はで、琢磨の軌修正をしようとした。
「お友達に嫌なことを言ってはいけない」
「順番は守る」
「自分より苦な子がいても、馬鹿にしてはいけない」
何度も何度も言い聞かせた。
けれど私が教えたそばから、義父母が別の価値観を吹き込む。
「琢磨は本当はしなくていいんだよ」
「お母さんは厳しすぎるね」
「琢磨はお父さんに似て優秀なんだから」
さらに悪かったのは、美のだった。
産に私が体調を崩したことを、義母は琢磨のでこんなふうに語った。
「お母さんは美ちゃんのお世話で忙しいから、もう琢磨には構っていられないんだね」
「美ちゃんを産んだから体まで悪くなったんだよ」
聞いた瞬、血の気が引いた。
「そんなことを子供ので言わないでください」
わずい声をした。
「美も琢磨も、私にとっては同じ切な子です」
義母は満そうに唇を尖らせた。
「私は事実を言っただけでしょう」
「事実じゃありません」
「だって、美ちゃんがまれなかったら、あなたは元気なままで、琢磨もお父さんについてへけたかもしれないじゃない」
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「それは誰にも分からないことです」
「まあ、そんなにらなくても」
義母は肩をすくめて部へ戻った。
しかし、子供はがう以に言葉を覚えている。
ある夜、琢磨が私に言った。
「お母さんは美だけいればいいんだよね」
「どうしてそんなこと言うの?」
「だって、美がまれてから僕のことばっかりる」
「違うでしょう。琢磨が悪いことをしたに注しているだけよ」
「僕は田所の跡取りなのに」
またその言葉だった。
「誰が跡取りなの?」
「僕」
「何の?」
琢磨は答えられなかった。
当然だ。
田所はいわゆる名でも資産でもない。義父は男で、本には兄がいる。受け継ぐような事業もなく、普通の会社員庭だった。
ただ、義父には兄たちへのいコンプレックスがあった。
兄が学へ学した方、義父は庭の事もあり卒業に就職していた。だから息子である正志が流学へ入り、企業に就職したことを誰より誇っていた。
「兄貴たちより、うちの正志の方が世した」
酒が入るたびに義父は嬉しそうに言っていた。
そして今、その自の気持ちが孫の琢磨に向いていた。
「琢磨は父親を超える」
「田所で番になる」
そんな言葉を浴び続けた子供が、どう育つのか。
私は怖くなった。
ある、義父母に真正面から伝えた。
「お願いですから、琢磨だけを特別扱いするのはやめてください」
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「どうして?」
「琢磨のためにならないからです」
「何を言ってるんだ。優れた子を褒めて何が悪い」
「褒めるのと、を見していいとわせるのは違います」
義父の顔が変わった。
「美津子さんは琢磨の才能を認めたくないのか」
「そんなこと言ってません」
「女親というのはくだらない平等にこだわるから困る」
私は唇を噛んだ。
体が元気なら、美と琢磨を連れてすぐにていきたかった。
しかし、まだ私はでの子供を育てられる状態ではなかった。
夫が帰ってくるまで。
あとしだけ。
そう言い聞かせながら耐えるしかなかった。
やがてほど経った頃、夫が帰国した。
私が伝えていた以に庭の雰囲気が悪くなっていることに、夫もすぐ気づいた。
琢磨が義母にお菓子をねだり、私が止めると、わざとこちらを見て言った。
「おばあちゃんはいいって言ったもん。お母さんより、おばあちゃんの方が僕のこと分かってる」
夫はその夜、い黙っていた。
そして翌朝、私に言った。
「次は、みんなでに来ないか」
私は夫の顔を見た。
「でも、私の体が」
「医者とも相談しよう。しをかけて準備すればいい。なくとも、このままここに置いておく方が琢磨には良くない」
夫も同じことをじていた。
数か、私たちは義父母のをた。
琢磨は最初、ひどく嫌がった。
けれどでの活が始まると、しずつ変わっていった。
学にはさまざまな国の子がいた。
琢磨より勉ができる子も、運が得な子も、言葉を何か国語も話す子もいた。
「自分だけが特別」という考えが通用しない環境だった。
5の活を終える頃には、幼い頃の傲さもずいぶんを潜めていた。
私はした。
これで丈夫。
あの頃のことは、もう終わったのだとった。
けれど本へ帰国したあと、私たちは事があって再び義父母と暮らすことになる。
そこで消えたとっていたものが、再び琢磨ので目を覚ました。
今度は、子供のわがままでは済まない形で。