"「嫁には1円もやらない」義母へ、家族3人の決断" 第2話
の無償労働とたい指先
私の名は、田織(まえだ・かおり)。歳。 元の堅宅設備メーカーで営業事務として勤務しており、今で勤続になる。 夫の孝介は産業用ポンプの部品製造会社で産管理を担当し、歳の息子・陽太は所の公保育園のクラスに通っている。 私の旧姓は部(やべ)といい、実は同じ内ので分ほどの所にある。
孝介と結婚したのはのことだ。 最初のは、駅くのさな賃貸アパートで夫婦入らずの平穏な活を送っていた。 その穏やかな常が変したのは、今からちょうど――義父の茂之さんが、庭の植の枝打ちに急性全で倒れ、歳で突然帰らぬとなったののことだった。
訃報を受けた、孝介は方への張で連絡がつかず、病院へ駆けつけたのは私だった。 置から自宅へ戻った、義母の久美子さんは玄関の(たたき)にぺたりと座り込み、靴も履かないまま、抜け殻のような目で虚空を見つめていた。 葬儀の、誰に声をかけられても気のない作り笑いを浮かべるだけの義母の姿を見て、の法が終わった夜、台所で洗い物をしていた私に孝介がぽつりと零したのだ。 『母さんをあの広いにきりにするのは……正直、配なんだ』
義母はその、まだ歳だった。
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『じゃあ、私たちが実に入って、お義母さんと緒に暮らそうか』 そう提案したのは、でもない私だった。 孝介に無理いされたわけでも、義母に泣きつかれたわけでもない。配偶者の親をで孤独させるわけにはいかないという、純粋な善と責任からの申しだったのだ。
そのの暮れ、私たちはアパートを引き払い、田の旧へ引っ越した。 引っ越しのトラックが荷物を運び入れた、義母は玄関先で私の両をく握りしめた。 『織さん、本当にありがとうね。よろしく頼みますよ』 そのの義母の指先は、氷のようにたかった。 今にしてえば、義母から「ありがとう」という謝の言葉をかけられたのは、の同居活ので、にも先にもあの引っ越しののたった度きりだった。
同居が始まってもなく、田には目に見えない無数の「厳格な掟」がすることをった。 その最たるものが、義母が毎朝む「本茶の温度」だった。 義母は起すると、仏壇にをわせた、居の決まった座子に腰をろし、朝刊を広げる。 そのタイミングにわせて、私は台所で鉄瓶の湯を沸かし、湯ましを使って適温にげてから急須に注がねばならなかった。 すぎれば「渋くてめない」と突き返され、ぬるすぎれば「茶のもしない」
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と舌打ちされる。
最初の半は、毎朝がやり直しの連続だった。 「ちょっといわね」 聞から目を切さず、義母はたいつきで湯呑みを座卓の向こうへ押し戻す。 私はをげ、「申し訳ありません、淹れ直します」と台所へ戻り、湯ましに湯を移して秒針を秒数え、再び淹れ直した。 半が過ぎた頃、義母は文句を言わなくなった。 私が達したからではない。「嫁が完璧な温度でお茶を淹れること」が、田において呼吸と同じ「当然の義務」として処理されたからだ。は、当たりになった事象に対して、度と礼を言わなくなるき物なのだ。
さらに、義妹のひろみさんのがあった。 でほどの隣町に嫁いだひろみさんは、に度か度、実へふらりと顔をした。 玄関の引き戸がくや否や、義母は弾けるような歓声をげてちがる。 「あら、ひろみ! いところわざわざ変だったでしょ! 座ってて、座ってて!」 そして、同じ息のまま、居の襖越しに私へ向かって鋭い声をばすのだ。 「織さん! お茶! くひろみにお茶をしてちょうだい!」
私は台所へり、湯ましを使って等な煎茶を淹れ、もって取り寄せておいた菓子を切り分けて座敷へ運ぶ。 居からは、母娘の甲い笑い声が絶えなく漏れ聞こえていた。
私が居にを踏み入れると、義母はピタリと笑みを収め、たい目で座卓を指差すだけ。 ひろみさんは決して悪ではない。お茶をせば「お義姉さん、すみません」とお礼を言う。だが、彼女が台所にを踏み入れたことは、で度としてなかった。義姉が無償で仕することを、疑問にすらっていない様子だった。
そして夕方、ひろみさんが帰宅する際、義母は玄関先で両いっぱいの産を持たせるのだ。 「これ、持っていきなさい。級なお肉と、美しいメロンよ」 はすべて、私が自分の料から捻し、週末にスーパーやデパで買い揃えて蔵庫に保管していた材だった。 「わあ、お母さんありがとう! 助かるわ!」 満面の笑みで受け取るひろみさんに、義母は誇らしげに頷いた。 「いいのよ、実の母親なんだから、娘にこれくらいしてあげるのは当たりよ」 私の財布からたであることなど、義母の脳内からは完全に消されていた。 実の娘がいのは仕方がない――そう自分に言い聞かせ、私は奥歯を噛み締めて黙り込んできた。だが、その沈黙こそが、義母の傲さを怪物へと育てげる肥やしになっていたのだ。