"「家は俺が守る」息子を信じた母、4年後の衝撃" 第1話
「は俺が見ておく」
「母さん、退院したって、あので暮らしは無理だよ」
病の子に座った直は、私の顔を見るなりそう言いました。歳になった息子の声は、昔よりしくなっていましたが、そのの私は、その言葉を頼もしいものとして受け取っていました。庭で洗濯物を取り込んでいる最にびにつまずき、腿骨を骨折して救急搬送されてから、すでにかくが過ぎていました。術だけならまだしも、そのに肺炎まで起こし、週くベッドから起きがることさえできなかった私は、歳という齢を初めてくじていたのです。
夫の正がくなってから、私はく、あの造階建てのでで暮らしてきました。く夫婦で暮らし、直を育て、にはさな庭の梅を眺め、には犀のりを楽しんだです。正がくなったに名義は私へ移り、固定資産税も保険も私の座から支払っていました。古くはなっていても、私にとってはどんな築宅より帰りたい所でした。
「ずっと施設に入れって言ってるんじゃない。歩けるようになるまでだよ。リハビリをちゃんとやって、体が戻ったら、そのまた考えればいい」
直がそう続けたので、私はししました。
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「はどうするの」と尋ねると、彼はすぐに「俺が見ておく」と答えました。庭の、郵便物、税、保険。台で何か壊れれば業者も呼ぶし、仏壇のも替えておく。父さんのでもあるのだから、そのくらい当然だとまで言ってくれました。
数週、私は自宅からで分ほどの齢者施設へ入りました。個があり、堂があり、護職員が常駐している、ごく普通の施設でした。最初の晩、廊を通る子の音と、隣の部から漏れてくるテレビの笑い声を聞きながら、私は枕元に置いた正の写真を見つめました。「しだけだからね」と、声で写真へ言いました。ここは病気を治して、歩けるようになってへ帰るまでの仮の所。そのの私は本気でそうっていました。
入所の続きが終わった数、直は枚の類を持ってきました。「母さんがここにいる、のことで何かあったにいちいち印鑑をもらいに来るのは変だから」と言い、宅管理に関する委任状だと説しました。そこには固定資産税などの支払い続き、災保険の更、緊急修理の業者配、庭の入れ、郵便物の部受領など、限られた項目しかかれていませんでした。
私は老鏡をかけて通り読みました。「売ったり、に貸したりすることはできないのね」
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と確認すると、直は笑いました。
「当たりだろ。そんなことするわけないじゃないか。母さんが戻るまで、俺が留守番みたいなことをするだけだよ」
私はその言葉を疑いませんでした。っていたせいもあります。歩くことさえできず、トイレへくにものを借りていた私は、自分の暮らしを自分で管理する気力まで失っていました。息子が代わりにやってくれる。それはありがたいことだとったのです。
「よろしくね」
私は朱肉に印鑑をつけ、指定された所へ押しました。
「任せておいて」
直は類を封筒へ入れ、笑いました。その頃の私はまだりませんでした。たった枚の限定な委任状が、息子のでいつのにか別のへすり替わっていくことを。
最初の数か、直は本当に毎週のように面会へ来てくれました。妻の理恵も度ほど緒に来て、焼き菓子を置いていきました。私はいつものことを尋ねました。
「庭は?」
「刈ったよ」
「仏壇は?」
「ちゃんとを替えてる」
「郵便物は?」
「必なものだけ取ってある」
その返事を聞くたび、私は胸をなでろしました。正の写真に向かって、「直がいてくれて助かったわね」と話しかけたこともあります。
半、私は歩器で廊を歩けるようになりました。には杖を使い、ゆっくりならで歩けるまで回復していました。
担当医から「かなり筋力が戻っています」と言われた、私はい切って尋ねました。
「先、そろそろに帰れるでしょうか」
医師はし考え、「宅環境を確認できれば能性はあります」と答えました。階段、浴の段差、すりの無。必なら改修をしてもいいと言われた私は、胸が弾みました。
そのの夕方、私はすぐ直へ話をかけました。
「直、先がね、の状態を見れば帰れるかもしれないって」
話の向こうで、息子はすぐには答えませんでした。
ほんの、秒だったといます。
けれど、今振り返れば、その沈黙こそが最初の違でした。
「……まだいよ、母さん」
直の声は、それまで聞いたことがないほどくなっていました。