"拾った財布で泥棒扱い――5万円の濡れ衣と反撃" 第5話
面談の孤とたい湯
午の執務は、まるで底に沈んだかのような苦しい沈黙に支配されていた。
午分。内線話が鳴り、咲は事総務部の面談へと呼びされた。
案内されたのは、本館の最奥にある窓のない畳半ほどの狭い部だった。央に置かれた目調のテーブルを挟んで、事総務部次の岡部繁(おかべしげる・歳)が、分いファイルをに静かに座っていた。、労務管理と社内監察を担当してきたベテランで、を表にさない彫りのい顔ちをしている。
「座ってください、森田さん」
「失礼いたします」
咲は背筋を伸ばしてパイプ子に腰掛けた。
岡部は机のに置かれた青い圧複写——咲が提した拾得物引渡証を指先で軽く叩いた。
「まず、事実関係の確認だ。森田さんが規定の順を踏んで財布を管理へ届け、黒田主任へ引き渡した経緯は、この記録と桜井警備員の証言から完全に確認が取れている。君のに続きの備は切ない」
「ありがとうございます」
咲は胸を撫でろしかけた。しかし、岡部の次の言葉が、その堵を酷に打ち砕いた。
「だがね、森田さん。問題はそこだけではないんだ。黒田主任は、財布のに確実に万円が入っていたと主張し、の曜にのATM窓で万円を引きした利用細票を事部に提した」
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岡部が差ししたクリアファイルのに、確かに午の付が印字されたの細票が挟まれていた。引きし額:50,000円。
「彼女は『引きした直に財布に入れた。落とした点で万円は入っていたはずだ』とく主張している。そして、勢のであなたを棒呼ばわりしたことについては非を認めつつも、『現の紛失という実害がている以、調査が終わるまで森田さんを信用することはできない』と言い張っている」
咲はを乗りし、静に反論した。
「岡部さん。で万円を引きした事実と、曜の朝に財布を落とした点でその万円が入っていたかどうかは、論理に全く別の問題です。彼女が昨晩使った能性も、落とすに別の所で抜き取られた能性もあります」
「その通りだ。だからこそ、会社としては現点でどちらの主張が真実かを判断することはできない」
岡部は淡々と鏡の位置を直すと、机の引きしから枚の辞令を取りした。
「そのため、社内規程第条に基づき、事実関係の調査が完全に終するまでの、森田さんには経理支援課における『納・支払承認業務』からにれてもらうことになった」
を鈍器で殴られたような衝撃がった。
「私が……業務からされるのですか?」
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「あくまで関係者保護と記録保全のためのな措置だ。君が犯だと決まったわけではない」
「ですが! このタイミングで私が担当をされれば、周囲の社員は『森田が本当におを盗んだからされたんだ』と受け取ります! 客観な証拠をした私が処分され、声で騒ぎてた黒田主任の言い分が通るのですか!?」
咲の声が、わず震えた。
岡部は表を変えず、静かに首を横に振った。
「組織とはそういうものだ、森田さん。疑惑がれるまでは、銭を直接かす権限かられてもらうのがリスク管理の鉄則なんだよ。理解してほしい」
理解などできるはずがなかった。
面談をて自席に戻ると、机のに積まれていたはずの支払申請の束が、綺麗さっぱり消えっていた。代わりに置かれていたのは、過の伝票をひたすらスキャナーで読み取ってPDF化するだけの、誰とも会話を必としない単調なアーカイブ作業の箱だった。
咲の担当だったな決済確認は、輩の田梨奈へと急遽引き継がれていた。
咲が子を引いた瞬、カタカタと鳴り響いていた周囲のキータッチの音が、潮が引くようにピタリと止まった。誰も咲の顔を見ようとしない。線をわせまいと、必にモニターの枠を見つめている。
午、しでも気分を変えようと、咲はマグカップを持って湯へ向かった。
湯の曇りガラスの扉の向こうから、同僚たちの楽しげな話し声が漏れ聞こえていた。
「——でもさ、本当に取ってないのかな」 「のない所に煙はたないって言うしね……」 「シングルマザーでおに困ってるって、本当なのかな」
咲が静かにドアノブを回した瞬、会話は自然な断末魔のように途切れた。
にいたの女性社員が、凍りついたように咲を見つめた。咲が「お疲れ様です」とさく会釈をすると、彼女たちは目を泳がせ、洗っていた途のマグカップを乱暴に切りカゴに放り込み、逃げるように湯からてった。
誰も、直接咲を「棒」と罵ったわけではない。
しかし、その腫れ物に触るような線、背に向けられるたい沈黙こそが、声の罵倒よりも遥かにく、咲のを削り取っていった。
正しい順を守り、客観な記録を残したが、なぜこれほどまでに孤し、尊厳を奪われなければならないのか。
その夜、い取りで帰宅した咲を迎えたのは、娘の結の無邪気な声だった。
「お母さん、おかえりー!」
パタパタと玄関へ駆け寄ってくる結の温かい体を抱きしめた瞬、張り詰めていた咲の目から、危うく涙が溢れそうになった。
夕の肉じゃがをべている最、結がふと箸を止め、咲の顔をじっと見つめてきた。
「お母さん、今すごく疲れてる顔してる。会社で何かあったの?」
子どもの澄んだ瞳は、がどんなに取り繕っても、その奥にある痛みを正確に見抜いてしまう。
「ううん……ちょっと、お仕事で確認しなきゃいけないことが増えちゃってね」
「お母さん、何か悪いことしたの?」
悪気のない、純真無垢な問いかけ。
その言が、鋭い針となって咲の臓を刺し貫いた。
咲は箸を置き、結のさな両をしっかりと包み込んだ。
「してないよ。お母さんはね、何つ悪いことはしていない。約束する」
「……うん! じゃあ、丈夫だね!」
結は満面の笑みを浮かべ、再び美しそうにご飯をべ始めた。
咲は娘のさな背を見つめながら、拳をく握りしめた。
泣き寝入りしてはいけない。波をてまいと耐えているだけでは、あの女の悪に満ちた嘘が「真実」として定着してしまう。娘に「正しいことをしていれば報われる」と胸を張って教え続けるために、自分自の尊厳を取り戻さなければならない。
咲のので、え切っていたが、確固たる決の炎へと変わっていった。
そして翌、事態はわぬ方向から、急激な反転を見せ始めることになる。