"拾った財布で泥棒扱い――5万円の濡れ衣と反撃" 第2話
引き渡しのサインと静寂の執務
エレベーターが階に到着し、チーンという子音とともにの扉がいた。
フロアのガラスパーテーションの向こう側、来客用受付カウンターのには、すでに黒田美保が仁王ちになって待ち構えていた。今で歳になる黒田は、業務管理課の主任として社内の備品管理や般管理費の支払調をに取り仕切る実力者だった。濃いめのメイクに、華やかなブランドもののブラウス。頃から部や部署の輩に対して圧な態度を取ることでられていた。
「黒田主任、お待たせいたしました」
桜井が歩にて、両で抱えた茶の財布をカウンターのに静かに置いた。
「階のベンチでお預かりしたものです。観をご確認の、お違いなければこちらの受領にサインをお願いいたします」
黒田は咲の顔を瞥もせず、まるで奪い取るような乱暴なつきで財布をひったくった。
「ああ、あった! 本当によかったわ、朝から青ざめちゃったじゃないの」
黒田は財布の側をくるりと回して眺め、革の表面についた微かな埃をでパパッと払い落とした。そのつきには、切な私物を元に戻せたという堵よりも、どこか焦燥のような刺々しい空気が漂っていた。
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「違いありません。私の財布です」
黒田はカウンターに備え付けられていたプラスチック製のボールペンを乱暴にに取ると、桜井が差しした複写式の引き渡し記録用に、殴りきのような勢いで自らの氏名をサインした。
咲はその様子をすぐ隣で静かに見守っていた。
だが、黒田はそので財布の留め具をし、の幣やクレジットカード、分証の無を確かめるような仕は切見せなかった。普通、落とした財布が元に戻れば、が無事かどうかを真っ先に確認するのがの自然な理というものだ。しかし黒田は、ただ財布の側を確認しただけで、すぐに脇のへと抱え込んだのだ。
桜井は黒田の署名を確認すると、複写用のの枚をペリペリと丁寧に切りした。
「はい、受領を確認いたしました。森田さん、こちらが拾得者用の控え伝票になります。のため、お元で切に保管しておいてください」
「ありがとうございます、桜井さん」
咲は両でそのい圧を受け取り、つに折ってオフィスの事務のポケットに収めた。
黒田は財布を抱えたまま、咲の方へと顔を向けた。その唇の端には、社交辞令にも満たないややかな笑みが貼り付いていた。
「森田さん、拾ってくれたのね。どうもありがとう」
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のこもっていない、吐き捨てるような謝の言葉だった。
「いえ、すぐに見つかって本当によかったですね。それでは失礼いたします」
咲が穏やかに会釈を返すと、黒田はそれ以言葉を交わすこともなく、カツカツとヒールを鳴らしながら業務管理課の執務へとに戻っていった。桜井もまた、「森田さん、朝からご協力ありがとうございました」と丁寧にをげ、巡回業務に戻るために再びエレベーターへと乗り込んでいった。
刻は午分。始業チャイムが鳴る分だった。
咲は自席のある経理支援課の部へと歩をめた。
部に入ると、すでに数名の同僚が社しており、パソコンのちげ音や聞をめくる音が静かに響いていた。斜め向かいの席では、今で入社目になる輩の田梨奈(にしだりな)が、昨の支払申請のファイルを机に並べていた。
「森田さん、おはようございます。今朝はいですね」
「おはよう、田さん。ちょっとロビーで落とし物を届けていてね」
咲は穏やかに微笑み、自分の席の子を引いた。事務のポケットに入れた引き渡し伝票の控えが、シャリとさな音をてた。
落とし物を発見し、ビル管理員をち会わせて正確な類を作成し、本の元へ直接返却した。
誰が見ても、寸分の狂いもない完璧な対応だったはずだ。
咲のには、何つの落ち度も、疑を挟む隙もしなかった。だからこそ、咲はこのに待ち受けている事態の異様さを、この点では像すらしていなかったのだ。
午ちょうど。
フロアのスピーカーから、始業を告げる無質な子チャイムが鳴り響いた。
咲は呼吸をつ落とし、端末の画面にログインパスワードを打ち込んだ。机の側に積まれた未処理の請求束を引き寄せ、定規と赤ペンをにとって、いつものように数字の照作業に取り掛かろうとした。
そのだった。
バタンッ!
経理支援課の分い製ドアが、信じられないほどの力で壁に叩きつけられるようにしてけ放たれた。
キーボードを叩いていた社員たちのが、斉に止まった。静まり返った内に、荒々しい音と、気を孕んだ甲い叫び声が響き渡った。
「森田さん! 体どういうつもりよッ!」
顔をげると、そこには目を吊りげ、真っ赤に気した顔でこちらを睨みつける黒田美保の姿があった。そのには、先ほど返却したばかりの茶い革財布が、固く握りしめられていた。