"7年伸ばした髪を妹に切られた日、婚約者まで笑った" 第17話
戻らない
がづいたころ、第期の運用は予定していた施設へ順次広がり、私のチームはしい保守体制を作り始めていた。津田さんからは、福岡支社の事業責任者として正式に昇格する話がていた。私はぶに、発と営業の判断権限が曖昧なままでは困ると伝え、責任範囲を文にしてもらった。以なら「期待に応えたい」と言ってすぐ引き受けたかもしれない。今は条件を確認することを、わがままだとわなくなっていた。
社内報に私の名と写真が載ると、元のを通じて静岡の族にも伝わった。母は画面に映る私のい髪を見て、「こんな顔で笑う子だったのね」と呟いた。父は「昔からよく笑っていた」と言いかけたが、いそうとすると、私が笑う面より美緒が私を笑わせようとしていた面ばかり浮かんだ。違いに気づいた父は、何も言わず画面を閉じた。
父は私が残した蔵庫の覧表を、もう使わなくなってからも捨てられずにいた。最は自分で通院を記録し、母の買い物を伝うようになった。それでも、事をつ覚えたから娘が戻るわけではない。父はその当たりのことを理解するまで、何度も「もう分反省しただろう」とにしそうになった。
そのころ、修は仕事で付きいのあった取引先から、予定していた共同企画への参加を見送ると告げられていた。
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画そのものだけが理由ではない。騒のあとも「族の冗談なのにげさだ」と話していたことが、周囲の信頼を損ねていた。く付きいのある先輩に「自分の恋が嫌がることをっていて、にやらせたのか」と問われ、修は初めて言い返せなかった。
修は帰り、昔のアパートのを通った。私とでカップ麺をべた階段は塗り直され、別のの自転が置かれていた。あのころ、彼は私の努力を認めてくれていた。私も彼の仕事を応援し、料にはいケーキを買っていた。修はその記憶を切にっていたが、切にしているだけでを守れるわけではない。いを持っていることと、今の相を尊することは違うのだと、ようやく分かり始めた。
美緒は資格試験の勉を続けながら、職でに仕事を教えるようになっていた。が伝票の数字を違えたとき、美緒は瞬、笑いそうになった。しかし相の顔が張るのを見て、元の類を緒に確認した。「ここ、私も最初に違えたんです」と言うと、はほっとしたように頷いた。美緒はその表を見て、姉が同じように助けてくれた面をいくつもいした。
母は週末、私が昔使っていた部を掃除した。机を置いていた壁にはい跡があり、カーテンだけが残っている。
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美緒が「姉さんの部、使っていい?」と聞いたとき、母は「今はそのままにしておきたい」と答えた。帰ってくると期待しているからではない。あの部にいた娘が、どんな気持ちで荷物をまとめたのか、もうし考えていたかった。
私は社内報の取材で「福岡に来て番変わったこと」を聞かれた。「仕事をで抱えないようになりました」と答えたあと、し考えて付け加えた。「自分の判断に責任を持つことと、全部をで引き受けることは違うと分かったんです」。取材担当者はその言葉をき留めた。私はそれ以、族のことを話さなかった。しい仕事の成果は、私が誰かに傷つけられたこととは別に評価されてよいとったからだ。
昇格のらせを受けた、佐伯と野がさな束を用してくれた。は「きな障害のときも、判断をに押しつけなかったから」と言った。私は礼を言い、を自宅の窓辺に飾った。族から褒められるときは、いつも何かを代わりにやったあとだった。ここでの祝いは、私自が積みねた仕事に向けられていた。