"7年伸ばした髪を妹に切られた日、婚約者まで笑った" 第7話
最初の画面
週、私は医療連携構の会議で、理事会向けデモの構成を説していた。席者の、病院の事務統括を務める瀬直が「現は画面の美しさより、操作を違えたときの戻り方を気にします」と言った。私はその指摘を資料にき込み、翌のテストに組み入れることにした。誰かの見を採用することは、自分のをくすることではない。むしろ、その言で提案がしくなった。
瀬に案内されて現を見学すると、夜勤けの護師が分い連絡先の覧をめくり、空いている病を話で確認していた。私は画面の数字だけでは見えなかった負担をった。能をつ増やすより、必な連絡先に迷わずたどり着けることが切だ。見学のあと、私は発に戻って入力欄の順序を変えるよう依頼した。
発では、デモの最に接続が途切れる能性が問題になっていた。佐伯は「予備回線を準備しても、部ネットワークが定なら保証できません」と言う。私は理事会で何を確かめてもらうのかを改めて理した。実際の患者報を扱わない検証用環境を用し、通信が切れたの表示も含めて見せる。成功した画面だけを並べるより、失敗したときのきまで説した方が信用される。
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瀬は会議、廊で「止まる面まで見せるんですね」と声をかけてきた。「隠しても、導入したあとに困るのは現ですから」と答えると、彼は「そういう説をしてくれるはない」と笑った。私はわず構えた。褒められたあとに何かを求されることに慣れていたからだ。けれど彼は次の会議資料の置き所を教え、普通に仕事へ戻っていった。
静岡では、美緒の画が原因で、採用が内定しかけていた広告制作会社から連絡が入っていた。正式な雇用契約の最終確認で、会社は本の公画を見たという。「の同を得ずに撮した映像を笑いの材料として扱う姿勢は、当社の業務と相容れません」と担当者は説した。美緒は「族の冗談です。もう削除しました」と繰り返したが、判断は変わらなかった。
「つの画で全部決めるなんてひどい」
美緒が泣くと、母はいつものように私へ話をかけようとした。しかし番号はつながらなかった。父は「凛なら何とかできるとうのか」と聞き、母は言い返せなかった。私が広告会社の採用担当者をっているわけでもない。それでも、困ったことが起きれば私に頼めばいいという癖だけが、のに残っていた。
その夜、修は私の古い写真を見返していた。い髪で笑う私、旅先で事をする私、族の集まりで端に座る私。
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最初のころの写真では彼が私の肩を抱いていたのに、最の写真では美緒の隣にち、私が撮係になっていることがかった。修は写真を閉じてから、婚約指輪が返送された箱をけた。内側にはで選んだ付が刻まれていたが、私からのは枚も入っていなかった。
福岡では、理事会のにきな具が見つかった。画面では受け入れ能と表示された病が、更の遅れによって実際の状況とい違うのだ。佐伯は顔を変え、「のデモを延期した方が」と言った。私はテスト記録を見て、表示を止めるべき条件を確認した。問題を隠して通すか、正面から説して修正するか。その選択を、今度は自分でできるにいた。
佐伯は障害を報告した自分が責められるとっていたらしく、何度も「すみません」と言った。私は「見つけてくれなかったら、もっと困っていた」と伝えた。原因の切り分けをでめると、古いデータだけを除すればデモの目は保てると分かった。作業は遅くまでかかったが、責める声は会議に響かなかった。