"義実家同居を勝手に決めた夫、私は別の新居へ引っ越した" 第14話
私は栗原苗ではなくなった
。
私は婚届を役所へ提した。
証欄には、ゆりさんと先の名が並んでいた。共同座の百万円は、すでに百万円ずつ分けられている。
私は旧姓へ戻った。
会社で名札を作り直してもらうと、ゆりさんが笑った。
「旧姓で呼ぶの、なんだか鮮ね」
私も笑った。
くにむ母には、婚の話を話で伝えた。
母は詳しい事を聞いた、い説教をすることも、正吾を悪く言うこともしなかった。
「あんたが自分で決めたなら、それでいい」
それだけだった。
その言を聞きながら、私は義母のことを考えた。
義母は私と同じ女性であり、かつては嫁だった。
義母にも、自分のを聞いてもらえなかった代があったのだろう。
けれど母と義母の違いは、苦労したに何を次のへ渡したかだった。
私の母は、自分が働きながら私を育てたからといって、「だからあなたも同じ苦労をしなさい」と言わなかった。
義母は、自分がしたから、「次は嫁がする番」と考えた。
同じ苦労でも、そのの選択でまったく違うものになる。
の終わり、君さんからい話が来た。
義父が親戚へ事を説したらしい。
「睦子から聞いてた話と全然違ったのね。らないまま々言ってごめんなさい」
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私は「もう丈夫です」と答えた。
正吾はそのまま実に残っているという。
朝はバスとを乗り継ぎ、分ほどかけて会社へ通っている。
以なら分で着いた。
それでも、自分で決めた実暮らしなのだから仕方ない。
義母は旅の会にも体操教にも、ほとんど参加できていないらしかった。
朝は正吾の事。
洗濯。
弁当。
夕飯。
から自分がろすはずだった事が、逆に分増えた。
私はその話を聞いても、ざまあみろとはわなかった。
ただ、最初からで話していれば、誰もこんな形にはならなかったのにとった。
義母が旅へきたいなら、義父と事を分担する方法もあった。
正吾が親を助けたいなら、毎いくらか援助することもできた。
私たち夫婦が義実のくへ引っ越す選択肢もあった。
事代を頼む方法だってあっただろう。
はいくらでもあった。
ただ、そのどれも選ばれなかった。
なぜなら正吾と義母は、「苗がやれば済む」という番簡単な答えを最初から選んでしまったからだ。
私はもう、その答えのにはいない。
仕事は相変わらず忙しかった。
にはの売りしの販促をまとめる仕事を任された。
夜まで残業しても、会社から分歩けばへ着く。
遅いに、分の噌汁を作る。
蔵庫にある野菜で簡単なおかずを作る。
それだけでの疲れが軽くなる。
誰かに「それだけ?」と言われない活は、っていたよりずっと静かで、ずっと自由だった。