"出征前夜、夫から突然の離縁状――日記に隠された本心" 第1話
歳の縁談
「キヌ、おの縁談が決まったよ」
叔母のタエがそう言ったのは、のちらつくの夕方だった。私は裏庭の井戸端で、たいに両を赤くしながら根を洗っていた。指先の覚はとうになくなっていたが、叔母の言葉を聞いた瞬だけは、胸の奥が妙にくなったのを覚えている。
「……縁談、ですか」
「そうだよ。おもだ。いつまでもうちに置いておくわけにはいかないだろう」
私はつのに父を、のに母をくした。それから母の妹であるタエ叔母のに引き取られたが、族として迎えられたというより、み込みの伝いとして置いてもらった、という方がかった。朝は誰よりもく起きて竈にを入れ、炊事、洗濯、掃除を済ませ、夜は皆が寝たあとで翌朝の米を研ぐ。それでも、をしのぐ根があるだけありがたいのだと、自分に言い聞かせて育った。
叔母にはの娘がいた。とも私よりだったが、仕事をするのはいつも私だった。になると指の節が割れ、血が滲んだ。噌汁に塩気がりないと言われれば叱られ、洗った着物に皺が残ればため息をつかれた。それでも私は言い返したことがない。ここを追いされたらく所がないと、幼いころからっていたからだった。
「相は野淳さん。
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陸軍にいるだよ。歳。ご両親はもうくなっていて、はある。悪い話じゃない」
叔母はそう言いながら、私の返事も待たずに帳面を閉じた。
「支度も、もういただいたからね」
その言で、私はようやく事を理解した。
私の結婚は相談ではなかった。もう決まったことなのだ。
「どんな方なんですか」
「真面目なだそうだよ。酒も博打もやらない。軍なんだからいっぱぐれもないだろう。何より、おみたいに親のいない娘をもらってくれるんだ。ありがたいといな」
叔母の言葉に、胸の奥がしだけ痛んだ。
けれど、それ以何も言わなかった。
見たこともない男の妻になることより、叔母のをることの方が現実を持って迫っていた。怖くないと言えば嘘になる。それでも、自分の居所が初めからなかったをれることに、ほんのしだけ堵している自分もいた。
野淳というに初めて会ったのは、そのだった。
背のいだった。軍姿ではなく紺の着物を着ていたが、背筋がまっすぐで、座っていてもどこか寄りがたいものがあった。叔母がよく茶を勧めても、淳さんは必なことにしか答えなかった。
「この子は働き者ですよ。文句も言いませんし、事なら何でもできます」
まるで具の説をするような叔母の言葉を聞きながら、私は畳の縁を見つめていた。
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やがて、淳さんが初めて私に話しかけた。
「森川キヌさん」
「はい」
「この縁談は、あなたも承しているのですか」
いがけない問いだった。
顔をげると、淳さんは笑ってはいなかった。それでも、私を値踏みするような目でもなかった。ただ、まっすぐ答えを待っていた。
叔母の線が横から刺さった。
「……はい」
私はそう答えた。
淳さんはほんの瞬だけ眉を寄せたが、それ以は何も聞かなかった。
婚礼は簡素だった。私が野に持っていけたものは、母の形見のさな櫛と、叔母が用した布団、それに数枚の着物だけだった。野は町れにある古い平で、庭には柿のが本っていた。
その夜、夫になったは私に言った。
「奥の畳を使ってください」
「旦様は?」
「私は隣で寝ます」
私は返事に困った。
夫婦になったのだから同じ部で眠るものだとばかりっていた。けれど淳さんは布団を運び終えると、「疲れたでしょう。休んでください」とだけ言い、襖を閉めてしまった。
そのも、淳さんはほとんど私と目をわせなかった。
朝を作れば「いただきます」。
帰宅すれば「ただいま」。
何か必かと聞けば「ありません」。
夫婦なのに、まるで同じ宿に偶然泊まりわせたのようだった。
叔母のをれば、ようやく自分の居所ができる。
私はどこかで、そんなことを期待していたのかもしれない。
しかし嫁いで目の夜、隣から物音つしない静けさを聞きながら、私は初めてった。
――このは、どうして私を妻にしたのだろう。
その答えをるのは、ずっとのことだった。