"泥の作業着と誇り" 第6話
の総料理と沈黙のロビー
ホテルのフロントを埋め尽くしていたあまりの同級たちは、まるで全員が同に呼吸を止めたかのように静まり返っていた。
「君……何言ってんのよ? 社って……ただのだらけの百姓じゃない」
神崎レナが引きつった笑みを浮かべ、助けを求めるように周囲を見回した。しかし、普段なら同調して笑い声をげるはずの取り巻きたちも、の尋常ではない狼狽ぶりに呑まれ、誰としてをくことができない。
「ただの百姓なわけないだろ!」
は振り返り、りすら滲ませた声で鳴り返した。
「佐々ファームっていったら、県内の百貨や級スーパーが競いって直取引を求めてる、指折りのトップ農業法だぞ! うちの沢品だって、の峰根をしでも卸してほしくて、俺が通い詰めてをげ続けてるんだ! それでも『契約農の品質を守るのが先だから、易に規模は広げられない』って、連続で断られてるんだぞ!」
ロビーのあちこちから、いうめき声のようなざわめきが漏れた。
「佐々ファーム……? あの、駅ビルのデパで個百円で売ってるプレミアムトマトの?」 「テレビのローカルニュースでやってた、契約農を再させてる若社のところか……?」
同級たちの線が、再びへと注がれた。
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しかし、そこに向けられていたのは、先ほどまでの侮蔑や笑ではない。信じられないものを見るような、戦慄と当惑の差しだった。
その、フロントの奥にあるな製スイングドアが勢いよくき、純のいコックコートにを包んだ柄な男性がで歩みてきた。胸元には糸の刺繍で『総料理』の文字。セントラルホテルの厨を統括する、料部の最責任者だった。
総料理はロビーの混みを掻き分け、の姿を認めるなり、そので々と腰を折った。
「佐々さん! やはり佐々さんでしたか! お見かけしたような気がして、わず厨からびしてまいりました!」
は作業着のポケットからをそうとして躊躇い、軽くをげた。
「料理、夜分にすみません。妻を迎えに来ただけですので」
「何を仰いますか! 今夜の宴会料理、佐々ファームさんの朝採れトマトと峰の胡瓜を使わせていただきましたよ。先ほど召しがられたお客様方からも、『野菜のがこれほど濃いのは初めてだ』と変な絶賛を頂戴いたしました。の婚礼料理の納品も、何卒よろしくお願いいたします!」
総料理は両でのを握りしめ、何度もをげた。そのには、畑のがくこびりついていたが、料理は気にする素振りすら見せなかった。
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ロビーは完全に凍りついていた。
「今夜の料理……私たちがさっきまでべてたやつ……?」 「みさの旦さんの畑の……?」
誰かがさく呟いた言葉が、い鉄塊のように全員の胸に落ちてきた。
レナの顔から、完全に血の気が引いていた。真っ赤なシルクのドレスが浮きがるほど、その表は蒼に張っている。カルティエの計を巻いた首が刻みに震え、持っていたブランドバッグのチェーンが擦れう微かな属音だけが、静寂のに響いていた。
は料理に丁寧に応対した、困惑したようにを掻いた。
「あの……皆さん。社なんて層な肩きで呼ばれてますが、俺はただの百姓です。事務所で伝票をくのはに数で、毎朝から晩までだらけになって畑をいずり回っているだけの男です」
の飾り気のない、く落ち着いた声がロビーに染み渡っていく。
「臭いのは事実です。爪ののも、どれだけ洗っても落ちません。でも、そのにまみれたから、誰かの命を支える野菜が育ちます。今夜、皆さんがべてくださった皿も、そのからまれたものです」
はそっと、隣につ咲の肩にを置いた。
「そして……俺が朝のから畑にられるのも、まみれになって踏ん張れるのも、全部このが隣で支えてくれているからです。
毎朝欠かさず弁当を作り、帳簿を締め、畑の苦労を度も嫌な顔つせず緒に背負ってくれている。俺にとって、世界で番誇らしいのは、この妻です」
咲の界が、瞬で滲んだ。
を向き、こぼれ落ちそうになる涙を必に堪える咲の横から、震える取りでの女性がみてきた。
まゆだった。
目の周りを真っ赤に腫らしたまゆは、のにつと、喉を詰まらせながら絞りすように言った。
「佐々さん……さっき、階の会で、みさは……みんなのでちゃんと言ったんです。『それでも、私の世界自の夫よ』って……!」
は目を見張り、それから咲の顔を覗き込んだ。
「そうか。……そんなこと、言ってくれたのか」
「言ってない……」咲は元をで覆いながら、首を振った。「言ってないよ……」
「言ったって、証言されてるぞ」
が照れくさそうに笑った。その屈託のない笑顔を見た瞬、咲の瞳からい涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「みさ、俺、さっき社って呼ばれたより……今の方が、何倍も嬉しいよ」
ロビーの同級たちは、誰として言葉を発することができなかった。
の仕事を辺のステータスで値踏みし、見し、嘲笑っていた自分たちの浅ましさが、この夫婦の静かで揺るぎない絆のに、跡形もなく打ち砕かれていた。
レナが、ふらつく取りで歩にた。
「み、みさ……ごめんね……私、冗談のつもりで……あんなだから、ちょっと盛りげようとしただけで……」
言い訳をねるレナの瞳は、咲ではなく、の作業着と、その背につ総料理の顔を怯えるように見つめていた。
咲は涙をの甲で拭い、レナの目を真っ直ぐに見据えた。
「レナ。冗談でも……の切なを、笑いものにしないで」
レナの唇が震え、それ以何も言えずにち尽くした。
「こう、みさ」
が優しく咲の背にを添えた。が歩きすと、ち尽くしていたの同級たちは、まるでモーセののように無言でへとをあけた。
ホテルの自ドアを抜けると、夜の温かいが、照った頬を撫でていった。