"泥の作業着と誇り" 第3話
目の種との畑
同窓会をに控えたの旬、咲は軽トラックの助席に乗り、とともに内最端のあいに位置する峰(やつみね)集落へと向かっていた。
急峻な肌を縫うように細い川が流れ、その両岸の急斜面を切り拓いて作られた美しい段々畑が広がっている。佐々ファームと提携している軒の契約農のうち、軒以がこの峰集落に暮らしていた。
急勾配の坂を登りきった最奥の畑に、台の軽トラックが止まっていた。
畑の畦に、古い麦わら子を被り、鍬の柄に体を預けて佇む老の姿があった。川辺源蔵(かわべ・げんぞう)、歳。佐々ファームの契約農ので最齢の篤農であり、の父・徳蔵の代からの盟友だった。
「遅い」
軽トラックをりて駆け寄ったに対し、源蔵は振り向きもせずにな声を投げかけた。
「すみません、源蔵さん。選果のベルトコンベアの調子が悪くて」
がくをげると、源蔵は子の鍔を押しげ、鋭いで畑のを指差した。
「のに蒔くぞ。畝はもうててある。の湿り気も申し分ねえ」
源蔵の言葉数は、よりもさらになかった。しかし、はこの老のにつとき、軍隊の官のにつ兵士のように背筋をピンと伸ばす。
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、咲がと結婚した直に初めてこの畑へ挨拶に来た際、源蔵は咲の顔をじっと見つめ、言だけ「まあ、いいだろう」と呟いた。からに「あれは親父の嫁審査に格したってだ」と教えられ、胸を撫でろした記憶がある。
源蔵はを促し、畑の脇に建つ暗い壁の納へと向かった。
納の奥の板のに、古びた斗缶が切そうに置かれていた。源蔵が錆びた缶の蓋をけると、から何にも包まれた茶いクラフトの袋が現れた。
「キロある。今も無事に採れた」
源蔵の言葉に、咲は袋のをそっと覗き込んだ。
に入っていたのは、胡麻粒よりも回りきな、艶のある淡い茶のさな粒だった。
「これ……根の種ですか?」
「峰根(やつみねだいこん)の種だ」
源蔵のが、おしそうに種をすくいげた。
峰根とは、この急峻なあいの赤でしか育たない、この固の来種だった。種苗会社からF1種(代交配種)を買ってくるのではなく、そのに収穫された根のから最も形の良いもの、首が引き締まり病気にいものを選び抜き、際の隔されたさな畑に植え直す。そこでを越させ、初に咲くから作業で種を採取する。源蔵はその神聖な畑を「種畑(たねばたけ)」と呼んでいた。
「首がくて、尻が太い。
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形が揃いだからの規格にはわんが、煮崩れせず、汁を芯まで吸い込む。……のから、欠かさず繋いできた」
「歳から……、ですか」
咲が息を呑むと、源蔵は淡々と頷いた。
「代でも種採りを怠れば、この世から消えてなくなる種だ。途切れさせるわけにはいかん」
「源蔵さん、今はうちでヘクタール分、すべて引き受けます」
の力い申しに、源蔵は無言で麦わら子をく被り直した。
「ヘクタールはいぞ。背負いきれるのか」
「内のセントラルホテルの総料理が、の峰根の呂吹きを絶賛してくれましてね。のの納入量を倍にしてほしいと頼まれているんです。全部、適正な価格で買い取ります」
源蔵は何も言わずに納をてったが、背を向けて歩く老の元がわずかに緩んでいたのを、咲は見逃さなかった。
帰り、軽トラックの窓から段々畑を見ろすと、鮮やかな緑の絨毯のに、所々、腰のさまで雑がい茂った茶い区画が点しているのが見えた。
「、軒やめたんだ」
ハンドルを握るが、を見据えたまま静かに言った。
「ってるよ。事務所の荷伝票、減ってたから」
「今も、宮田さんのところが限界だって言ってる。歳だ。息子さんは都会にて戻らない。……畑はな、度をやすと、で元のに戻っちまう。
度と耕せなくなるんだ」
の声には、どうしようもない焦燥と痛みが滲んでいた。
佐々ファームが契約農の野菜を価格の変にされず、あらかじめ定めた固定価格で全量買い取っているのは、この限界集落の農を守るためだった。齢の農たちに「来も作ろう」とわせるための、なりの戦いだったのだ。
「源蔵さんが倒れたら……あの種、どうなるの?」
咲の問いに、はしばらく沈黙を保った、く答えた。
「だから、俺たちが受け継ぐんだ。あの種は、峰の命そのものだからな」
数字や効率だけを追い求める現代社会から見れば、そんなのやり方は器用で、臭く、儲けのいやり方に見えるかもしれない。
しかし、咲にとって、このと命に真摯に向きう夫の姿こそが、どんな企業の役員の肩きよりも尊く、誇らしいものだった。