"産後七日目の決別" 第8話
流された涙のみ
。桜の蕾がほころび始めたの午、真帆はつむぎを連れて、区の総福祉センター内にある乳幼児支援教を訪れていた。
畳敷きの広いプレイルームには、柔らかいウレタンマットが敷き詰められ、数組の親子が支援員のアドバイスを受けながら過ごしている。
約束の午ちょうど、直が現れた。
いつもの綺麗なスーツ姿ではなく、きやすいスウェットにスニーカーというでちだった。目のにはクマがあり、表には隠しきれない緊張が張り付いている。
「今は、私は切をさないから」
真帆は壁際の子に腰掛け、徹に言い放った。
「おむつ交換、ミルク、寝かしつけ。全部、あなたがでやってみて」
「……分かった」
直はゴクリと唾をみ込み、マットのに寝かされたつむぎのに正座した。
最初のおむつ替えから、すでに悪戦苦闘だった。ヶになり、を激しくバタつかせるつむぎのきについていけない。テープが斜めにズレ、太もものギャザーが内側に巻き込まれたままになる。
「の付け根のギャザーがってないわ。そこから漏れるのよ。やり直して」
真帆の容赦ない指摘に、直は焦りながらテープを剥がし、何度も貼り直した。
慣れないつきで体を拘束されたつむぎが、を募らせて顔を真っ赤にし始めた。
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「ふぎゃああっ! うわああん!」
教に響き渡る、のついたような激しい泣き声。
直の体がビクッとねがった。以なら「ほら見ろ、母親じゃないとダメなんだ!」と妻に投げしていた面だ。直は助けを求めるように真帆を見たが、真帆は腕を組んだまま、たい線で見つめ返すだけだった。
逃げはない。直はを決し、震える腕でつむぎを抱きげた。
「よしよし……つむぎ、泣くな……パパだぞ……」
直はちがり、マットのをぎこちなく歩き回った。しかし、背筋が張り、腕の力が入りすぎている。その緊張がつむぎに伝わり、泣き声はさらにボリュームを増していく。
分が過ぎ、分が過ぎた。
つむぎの泣き声は向に収まらない。直の額から汗が滴り落ち、着ているシャツの背がぐっしょりとを変えていく。腕の筋肉が痙攣し、膝が刻みに震え始めた。
「ハァ……ハァ……なんで……なんで泣き止まないんだよ……!」
直の呼吸が荒くなる。
見かねた配の支援員が、優しく歩み寄って声をかけた。
「お父さん、肩の力を抜いて。赤ちゃんはお父さんの臓の音を聞いていますよ。無理に泣き止ませようとしなくていいんです。『泣いても丈夫だよ』って、受け止めてあげてください」
「で、でも……俺じゃ嫌なんじゃないですか……? 俺のこと、嫌いだから泣いてるんじゃ……」
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けない、泣きしそうな声だった。
支援員は穏やかに微笑んだ。
「ヶの赤ちゃんが、誰かを嫌うなんてことありませんよ。ただ、懸命にきているんです。お父さんも、焦らなくていいんですよ」
その温かい言葉に、直の張り詰めていた何かがプツリと切れた。
直はつむぎを胸元にぎゅっと引き寄せ、マットのに崩れ落ちるように座り込んだ。
「ごめん……つむぎ、ごめんな……。泣いていいぞ……好きなだけ泣け……」
もう妻に投げすことも、言い訳を探すことも諦めた。
ただ、自らの胸に響く娘の激しい鼓と、腕ののさな命のみだけに、全全霊で向きった。
分が経過した頃、奇跡のように泣き声がさくなっていった。
ヒック、ヒックとさくしゃくりげる音を残し、つむぎのが直の鎖骨のあたりにコテンと預けられた。やがて、スー、スーという静かな寝息が、部のに響き渡る。
寝たのだ。
直は信じられないものを見るように、胸元の娘の寝顔を見つめた。
起こしてしまうのを恐れて、のように固まったまま、直の瞳から粒の涙がボロボロと畳のにこぼれ落ちた。
「……寝た……」
震える声で呟く直の元へ、真帆がゆっくりと歩み寄った。
「寝たね」
「俺……できた……。俺ので、寝かしつけられた……」
かつて分で投げした男が、分以も泣き叫ぶ娘を抱き続けた。
その顔には、嘘や見栄ではない、のとしての本物の達成が宿っていた。
だが、真帆は放しで褒め称えるような甘い言葉はかけなかった。
「つむぎと、緒に乗り越えたのよ。あなたがで達成したんじゃないわ。つむぎがあなたの努力を受け入れてくれたの」
直はハッとして、胸のの娘を見つめ直した。
「……つむぎと、緒に……」
「そうよ。育児は仕事のプロジェクトじゃない。相を力でコントロールすることなんてできないの。い通りにならない命と、臭くを共することなのよ」
直は何度もく頷き、涙を拭った。
男はこの、ようやく「父親」としてのスタートラインにった。
しかし、直はまだきな勘違いを抱えていた。自分が良い父親になれば、いつか妻が許し、元の庭に戻れるはずだという、甘い甘いを抱き続けていたのだ。