"産後七日目の決別" 第3話
母のぬくもりと父の無言
母の運転するが、実の狭いに入り、見慣れた古びた扉のにまった。
エンジンが切られるよりく、玄関の引き戸がガラリとき、父の信(しんじ)がサンダル履きのままりで駆け寄ってきた。今で歳になる父は、元の町を定退職し、普段は滅にを表にさない無な男だった。
父は部座席のスライドドアを両でけると、内に座る真帆の顔をじっと見つめた。
「……おかえり。よく帰ってきたな」
く、押し殺したような、しかし温かいその言を聞いた瞬、真帆の全を張り詰めていた鋼の糸が、プツリと音をてて千切れた。
産ケア施設で直にあの残酷な言葉を投げつけられたも、真帆は涙粒流さなかった。ここで泣けば、夫に屈したことになる。赤ん坊を抱いた自分が取り乱せば、娘が危険に晒される。そので、を凍りつかせ、仮面を被ってち回ってきたのだ。
しかし、実の玄関の灯りと、両親の顔を目にした途端、抑え込んでいた恐怖と苦痛と屈辱が気に決壊した。
「お父さん……っ、わたし……わたし……」
真帆はシートに座り込んだまま、両で顔を覆い、子供のように声をげて泣き崩れた。帝王切の傷が引きつり、激痛がるのも構わず、しゃくりげる喉から嗚咽が漏れ続ける。
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母・裕子が助席から回り込み、真帆の震える肩を力く、包み込むように抱きしめた。
「泣きなさい、真帆。もうしなくていいのよ。あんなたい所で、よくで耐えたわね」
「お母さん……私、ちゃんとこの子をで育てられるかな……。私、母親失格なのかな……」
母は真帆の背をリズミカルに優しく叩きながら、力い調で遮った。
「馬鹿なこと言うんじゃないの! で育てる必なんて、どこにもないのよ。お父さんも私もいる。所には頼れるお医者さんも助産師さんもたくさんいる。使えるものは全部使って、みんなで育てるのが本当の育児よ。で抱え込んで潰れるのが番いけないの」
父・信が無言のまま、チャイルドシートのベルトを慎にし、壊れ物を扱うようなつきで眠るつむぎを抱きげた。
「さあ、がれ。部はもうを入れてめてある。真帆、おの布団も敷いてあるからな」
居に入ると、真帆がかつて使っていたには、清潔な綿毛布とい敷布団が用されていた。
その夜の午。
暗ので、つむぎがフエエ、と甲い声で泣き始めた。回の授乳からきっかりが経過していた。
真帆はハッと目を覚まし、慌てて布団から起きがろうとした。しかし、腹部にった激痛に「うっ……!」とい鳴をげて倒れ込んでしまう。
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切した傷が引き裂かれるような痛みで、腕の力すら抜けてしまう。
その瞬、すっと襖がき、母が入ってきた。
「真帆、起きなくていい! 横になったままでいなさい」
母は際よく枕元のおむつセットを広げ、泣くつむぎに「はいはい、気持ち悪かったわねえ」と声をかけながら、わずか数秒でおむつを交換してみせた。
ふと廊の方を見ると、台所のかりが灯っていた。
暗い台所で、父・信が老鏡を先にかけ、哺乳瓶にミルクをスプーンで慎に入れ、気ポットの湯を注いでいた。流で瓶をやし、自らの首の内側にミルクを滴垂らして温度を確かめる父の横顔。真帆が子供の頃にも見たことのない、真剣そのものの表だった。
「ほら、ミルクができたぞ。真帆、体を起こせるか?」
父が運んできてくれた肌の哺乳瓶を受け取り、真帆は母に背を支えられながら、つむぎのさなに乳首を含ませた。ゴクゴクと音をてて必にミルクをむが子の温もり。
「真帆、ませたらそのまま寝なさい。げっぷしと寝かしつけは私がやるから」
母の言葉に甘え、真帆は再び布団に横たわった。
次に目が覚めた、障子越しにっすらと朝のが差し込んでいた。枕元の計を見ると、午を回っていた。
驚くべきことに、真帆は度も途で起こされることなく、以もく眠り続けていたのだ。
産、これほどまとまった眠を取れたのは初めてだった。体の鉛のようなさがし抜け、の奥のがれている。
隣のベビー布団では、つむぎが母の添い寝の横で、穏やかにスヤスヤと寝息をてていた。
——ああ、そうだったんだ。
真帆の目から、自然と涙が溢れた。
「母親なら、痛くてもで夜泣きに耐えなければならない」「夫に迷惑をかけずにで全てをこなすのが当たりだ」。そんな世の無言の圧力に、自分自がらずらずのうちに囚われていたのだ。
もしあのまま直のマンションへ戻っていたら、どうなっていただろう。
痛む体を引きずり、泣き止まない娘を抱いてで暗を彷徨い、ソファーでいびきをかいて眠る夫を憎みながら、も体も完全に破壊されていたに違いない。
助けを求めることは、甘えではない。親としてが子の命を守るための、最も賢な責務なのだ。
真帆は枕元のスマートフォンにを伸ばした。
画面には、昨夜の夜に届いていた直からのメッセージが件、表示されていた。
『落ち着いたら帰ってくればいい。』
たったの、く無神経な文章。
真帆はそのたい文字を見つめ、静かに息を吐きした。
この男は、まだ何も分かっていない。自分がどれほど取り返しのつかない罪を犯したのか、ミリも理解していないのだ。