"産後七日目の決別" 第2話
決別の窓
「産んだが、自分で育てればいい」
直の声は、鳴り声ですらなく、吐き捨てるような、絶対な無関に満ちた平坦なトーンだった。
言った本に、失言を取り消す気配も、冗談だと笑って誤魔化す様子も微もなかった。をへの字に結び、「当然の権利を主張したまでだ」と言わんばかりの傲な線で、ベッドサイドの真帆を見ろしている。
真帆は鳴り返さなかった。泣き叫びもしなかった。
ただ、全の血が元からすうっと引いていくような覚ので、無言のまま夫の顔を見つめ返した。
代半ばで結婚して。確かに直はプライドがく、理屈っぽいところはあった。しかし、どこかで「子供がまれれば、彼も自然と父親の自覚を持ってくれるはずだ」という甘い期待を抱いていた。妊娠、つわりで苦しむ真帆を横目に「自己管理がりない」と切り捨てたときも、産のち会いを「血を見るのは苦だから」と拒否したときも、真帆は彼を責めず、で耐えてきた。
だが、今この瞬に放たれた言葉は、夫婦のすれ違いという易しいものではなかった。
命懸けで腹を切り、激痛と貧血に耐えながらが子を抱く妻に対して、「おが勝に産んだのだから、おで責任を取れ」と言い放ったのだ。
この男にとって、子供は「守るべき族」
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ではなく、妻が勝に背負い込んだ「余計な荷物」に過ぎなかったのだ。
真帆のので、積みなってきた夫へのの最の滴が、乾いた音をてて蒸発した。
りもしみも、もはや湧いてこない。ただ、徹な本能だけが、真帆の考を急速に研ぎ澄ましていった。
——この男の待つへ帰ってはいけない。
もし、あのマンションへ戻ればどうなるか。階段をがることもできない体で、おきに泣き叫ぶ児を抱え、痛みに蹲る自分を、この男は「母親失格だ」「怠けている」と嘲笑い、放置するだろう。
自分なら耐えられるかもしれない。しかし、腕ので微かに息をするこのさな命まで、危険に晒すことになる。これは夫婦喧嘩ではない。母子の命を守るための、刻を争う「緊急避難」の決断だった。
真帆はゆっくりとベッドからをろし、傷の痛みを奥歯で噛み殺しながらちがった。
そして、眠るつむぎを両腕でしっかりと抱きげた。
「黒田さん」
真帆の澄んだ、しかし切の震えのない声に、配そうに見守っていた黒田助産師がハッとして歩み寄った。
「真帆さん、丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ」
「黒田さん。つ、ご相談があります。……今、ここから帰る所を、変更してもよろしいでしょうか」
直がギョッとしたように目を見いた。
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「おい、真帆! 何言ってんだよ!」
真帆は夫の声を完全に無し、黒田の瞳だけを真っ直ぐに見据えて続けた。
「実へ帰りたいんです。母と父がいます。今から母に話をかければ、分で迎えに来てくれます」
黒田は直の狼狽ぶりと、真帆の揺るぎない差しを交互に見つめた。そして、何つ否定することなく、プロフェッショナルとしての迅速な判断をした。
「分かりました。お母さんとつむぎちゃんのバイタルを今すぐ確認します。退所続きを倒しにする類を作成しますから、お母さんは腰掛けて待っていてください」
黒田が部をびしていくと、直が焦ったように真帆の腕を掴もうとした。
「おい! 待てよ! なんだよそれ! ちょっとに血がって言っただけの言葉だろうが! 言葉の綾だよ!」
真帆は掴まれそうになった腕をたく引き、夫の目を氷のような線で射抜いた。
「言葉の綾なんかじゃないわ。それが、あなたの本音でしょう」
「な……!」
「あなたが『産んだが自分で育てればいい』と言ったのよ。だから私は、自分で育てるわ。あなたを頼らずに、私のでこの子を守れる所へくだけよ」
「おで育てられるわけないだろ! 誰の稼ぎで暮らしていく気だ!」
「じゃあ、あなたはで何をしてくれるの? 今夜、おきに起きてミルクを作ってくれる? 、私の代わりに沐浴をしてくれる? 傷が痛くてけない私の代わりに、買いしにってくれるの?」
直は籠り、線を泳がせた。
「そ、それは……仕事があるから……できる範囲でだな……」
「できないのよ、あなたには」
真帆は背を向け、枕元のスマートフォンをに取った。
実の母・裕子へ話をかける。コール音が回。
『もしもし、真帆? どうしたの、迎えにく約束でしょ?』
母のるい声を聞いた瞬、真帆の胸の奥が微かに軋んだが、声のトーンを保ったまま告げた。
「お母さん……お願いがあるの。今すぐ、で迎えに来てほしいの。今、実に帰りたい」
話の向こうで、母が瞬だけ息を呑んだ。事を根掘り葉掘り聞くことはしなかった。百戦錬磨の母は、娘の切迫した声だけで事態の異常さを瞬に察したのだ。
『分かったわ。分でくから、荷物をまとめて待っていなさい』
通話が切れた。
部の隅で腕を組み、壁に寄りかかった直が、忌々しそうに吐き捨てた。
「本当に実へくのかよ。……勝にしろよ。俺はらないからな。で泣きついてきても、絶対に迎えになんかかないからな!」
真帆はその捨て台を、自らの記憶の底くに、消えない刻印として刻み込んだ。
分、母・裕子が運転するワゴンが施設のロータリーに滑り込んできた。
母は部に入ってくるなり、荷造りを終えた真帆と、腕ののつむぎの顔を優しく見つめ、「よく頑張ったわね」
とだけ言った。部の隅に突っっている直には、挨拶すら向けなかった。
直は無言のまま、私たちのろをポケットにを入れたまま歩いてついてきた。
エントランスをて、つむぎを部座席のチャイルドシートに寝かせる。ドアを閉める直、真帆は振り返った。
産ケア施設の玄関の庇の、ポツンとち尽くす直の姿が見えた。
ざかるの部ガラス越しに、その姿がさくなっていく。
それは夫を懲らしめるためのなどでは決してなかった。
自分と娘の尊厳を、そして命そのものを守り抜くための、戻りのきかない脱劇だった。