"昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由" 第15話
先への
がけても、寺の暮らしはすぐには楽にならなかった。昭の正は静かで、子どもたちに配られたのはさな芋とい雑煮だけだった。それでも玄はの挨拶をし、井はひとりへ賀の言葉をかけた。子どもたちは京の族へ宛て、まだ見たことのないほどいのことをいた。
正雄には母から返事が来ていた。寺で事を拒んだこと、先が調査を受けていることをった母は、便箋にさな字で何枚もいていた。「あなたがお友だちのために配したことは分かります。でも、自分の体を粗末にしてはいけません」。そのあとに、いがけない言葉が続いていた。「井先へも、母さんからおをします」。
正雄は驚いた。母は先を責めるに違いないとっていたからだ。ところが数、井のところに届いた便りには、子どもを預かってもらった礼と、正しい配の説をしてほしいという頼みが緒にかれていた。りを込めた言葉はなく、しかし曖昧にしてほしくないことははっきり記されていた。井はそれを読み終えると、しばらくで縁側に座っていた。
同じ頃、寺の子どもたちからも井へをこうという話がた。勇吉は「先が悪いことしてないってこう」
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と言ったが、正雄は首を振った。「先も違えたって言ってたでしょう。それをなかったことにしたら、先が謝ったがなくなる」。節子は考えた末、「戻ってきて授業をしてください。それから、今度は全部話してください」といた。
は分になった。字のきさも文章のさもばらばらで、郁夫はほとんど絵しか描けなかった。だが正雄は、その枚枚を束ねて井へ渡した。井は子どもたちので読み、「ありがとう。ただ、戻るかどうかは私だけでは決められない」と答えた。正雄は頷いた。の仕事の決まりも、簡単には変えられない。
方、藤岡の調べは柳瀬の倉へんでいた。交換したはずの炭俵は確かに倉に置かれていたが、保管を命じた類は見つからなかった。柳瀬は運送の賃だと主張し、古川は預けただけだと言った。さらに町へ移したとされた米の部については、送り先の控えがなく、正確な量も定まらないままだった。
のには、もう調べるのをやめてほしいと言う者もいた。柳瀬の荷が止まれば商売が困り、古川が仕事をれれば糧の配が遅れる。正雄はその声を聞き、初めて、悪いことをしたを責めるだけでは毎の暮らしがちかなくなるもあるとった。それでも、何もなかったことにすれば、同じ類がまた作られるだろう。
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ある、作業所のが寺を訪ね、炊事の女たちが作った干し根を届けた。「今はより米がしだけ回ってきたの」。そう話すの顔は、よりるかった。彼女たちは藤岡へ、自分たちの事記録も毎提することにしたという。正雄が礼を言うと、は首を振った。「あんたたちが記録を始めたから、私らも言えるようになったんだよ」。
正雄はその晩、皆のでの話をした。郁夫は「戸倉のたち、もうおなかすいてないの?」と聞いた。正雄は「まだすいてるとう」と答えた。だからこそ、寺に届いた物を奪いうのではなく、届かなかった物をちゃんと数える必がある。子どもたちはもう、事を拒むより難しいことをしていた。
その夜、井は初めて子どもたちの寝へ入り、いつものように布団の端を直した。「来週から、またしずつ授業を受け持てることになった」。そのらせに郁夫はび起き、ほかの子も顔をげた。井は笑い、「声をすな。もい」と注した。正雄は久しぶりに、先の声を聞きながらして眠れた。