"昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由" 第12話
寺のが閉まる
初が寺の庭をく覆った頃、町からしい通が届いた。児童を配分の計算からす扱いは、いったん取り消す。だが、糧のが解決するまでは、寺での事を能な限り節約し、元の負担を増やさないよう努めること――そうかれていた。正雄はの名が戻ったと聞いてんだが、夕飯の椀はしもきくならなかった。
寺の台所では、しのが朝から晩まで米と麦を分けていた。子どもたちの数を減らしたことにしても、の腹が消えるわけではない。かえって、数だけを戻したことで配達が追いつかず、釜に入れる物がりなくなっていた。しのは米びつの底を叩き、何もてこないのを確かめると、無言で蓋を閉じた。
その期、寺の周りでは疎児童に対するたい言葉も増えた。で取れた芋が寺へ優先して回るという噂がち、農の子どもが正雄たちに「京へ帰れ」と叫ぶことがあった。郎も初めは緒に笑っていたが、寺へ糧を運んだ姉を所の男が責めたから、誰の方をすればよいか分からなくなった。たかは何も言わず、洗い物を続けた。
ある夕方、寺のが内側から閉められた。糧係の古川と柳瀬が持ってきた配達予定のをめぐり、職の玄と激しい言い争いになったのだ。
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玄はに、「今のような数のわない搬入を受け続けるわけにはいかない」と告げた。すると柳瀬は、寺が受け取りを拒むなら次の荷を持ってこられないと言った。
ので荷が引き返す音を聞いた正雄は、わず駆けした。寺に残っている糧は、とししかないとしのから聞いていた。「待ってください」と叫んでも、柳瀬は止まらなかった。馬の背に積もったが、輪の回転にわせて落ちていく。正雄には、目ので夕飯が運びられるように見えた。
玄は正雄を呼び戻した。「今の荷を受け取っても、りぬ数を確かめないまま判を押せば、また同じことになる」。正雄は唇を噛んだ。「それで、は何をべるんですか」。玄は答えを急がなかった。「私がを回る。井先にも相談する」。だがその声に、確かな約束はなかった。
翌朝、井は寺の台所にっていた。授業へ戻る許はまだりていないが、子どもにべさせるための作業なら伝えると言ったらしい。彼は玄と緒に寺が預かっていた薪を数え、部をの共同炊事へ分ける代わりに芋を融通してもらえないか話しった。子どもたちのべ物のために、今度はが自分の持ち物を数え直していた。
正雄も何かしたいとったが、できることは限られていた。
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寺の裏庭の落ち葉を集め、薪をさく割る。郁夫が同じことをしようとしてを切りかけた、正雄はわず叱った。しかし泣きそうな郁夫を見て、背をさすった。「丈夫。おはさい薪を運んでくれればいい」。誰もが役にとうとすることと、無理をさせてしまうことは違うのだと、そのし分かった。
夕方には、の女たちが根と乾燥した菜を持ってきた。たかの母親もいた。米ではなくても汁の具が増え、子どもたちは久しぶりに椀の底を見ずにべられた。しのは何度も礼を言ったが、女たちは「うちも余ってるわけじゃないよ」とを押した。正雄はその言葉を覚えておこうとった。に分ける者も、分けるほど豊かとは限らない。
その晩、藤岡から役へ確認のらせが届いた。寺へ回す糧のしい運送方法が見つかるまで、古川と柳瀬の帳面は別々に保し、米の取引を照するという。だが正雄にとって番事なのは、の朝にも事がるかどうかだった。正雄は子どもの記録帳に、しい欄をつ増やした。「今、誰のおかげでべられたか」。そこには、たかの母や作業所のの名が並び始めた。