"昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由" 第11話
米の代わりに運ばれた物
正雄は「特別炊し」という文字を何度もので読んだ。町のへ運ぶ炊きしなら、べるがいるはずで、そのたちも空腹なのかもしれない。だがき先を空にしたまま糧をかしてよいのだろうか。井に聞くと、「誰のために使ったか分からないものを、使ったことにしてはいけない」と答えた。その言葉が先自にも向けられていることを、正雄はじた。
藤岡は古川と柳瀬を別々に呼び、同じ付の送り状を見せた。柳瀬は、米を別の集積へ運んだと認めたが、そこから先は運送の仲介をしただけだと言い張った。古川は作業所の糧がりず、町の判断で調したと説した。しかし、どちらの話にも、空の送り先を特定できる証拠がない。正雄はの話しいが、のをったり来たりしているようで歯がゆかった。
転になったのは、たかの父が持ってきた古い馬の帳面だった。米袋を運んだは馬のえさと輪の修理代を記しており、そのに「米半俵、炭俵に換える」とある。町では運送に使う燃料も、べる米と同じくらいに入りにくくなっていた。古川はのを通る荷と炊きしのを確保するため、町の配分米の部を炭と交換する約束をしていたのだ。
正雄はそれを聞いて、すぐには腹をてられなかった。
広告
寺の炊事で使う薪も、のにはすぐ濡れてしまう。妙子を町医者へ運ぶも、馬をしてくれるがいなければ困る。米と炭を交換すること自体が、どこまで悪いのか分からなかった。ただ、妙子がべられないも、郁夫が腹を空かせて眠るも、誰も子どもたちへ説しなかったことは変わらない。
ところが、炭を受け取った側の帳面を調べると、また数がわなかった。米半俵と引き換えに渡すはずだった炭は俵だが、寺と作業所に届いたのは俵だけ。残りは柳瀬の倉へ運ばれたままになっていた。柳瀬は配達の賃だと言った。古川はそんな取り決めを認めていないと言った。必な物を確保するための交換が、いつのにか誰かの取り分をんでいた。
「じゃあ、やっぱり盗んだんだ」。勇吉が言うと、節子は止めた。「まだ決まってない。でも俵をどこに置いたかは聞けるでしょう」。正雄もそうった。正しいことを急いで言おうとして、が言い争うと同じになりたくはなかった。彼は事の帳面の次の頁に、寺へ届いた炭の数もく欄を作った。
方、井のは厳しくなっていた。俵を別へ回すことをりながら寺へ全量届いた形の受領に印を押したことを、井自が認めたからだ。古川の署名偽造の疑いは調べられるとしても、井の判断まで消えるわけではない。
広告
藤岡は、「子どもを守るためなら、なぜ別の方法で異議をさなかったのです」と問い、井は何も言い返せなかった。
ある夕方、井は正雄を寺の井戸端へ呼んだ。「おたちの母さんや父さんに、私はちゃんと説をしなければならない」。正雄は先の顔を見る。「事がりなかったことも、印を押したこともですか」。井は頷いた。「自分のしたことを隠して、古川さんだけを責めても始まらない」。その、先の肩にが片落ちた。信州のが、とうとう本格に始まろうとしていた。
その晩、正雄は妙子に聞いた。「僕ら、正しいことをしたのかな」。妙子は匙を置き、「まだ分からない」と答えた。「でも、より飯のことをちゃんと聞けるようになったでしょう」。正雄は妙子の椀に目を落とした。相変わらず粥はい。だからこそ、答えをるだけで済ませてはいけないのだとった。