"昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由" 第5話
先の印
正雄は朝の授業が終わるのを待ってから井を訪ねた。先が判を押したというだけなら、驚くことではない。荷物を受け取るは受領の証を残すものだし、正雄の父も印刷所での納品に毎印を押していた。ただ、そのにかれているのは「寺へ俵搬入済」の文字だった。実際には俵しかろされていない。
「先、ここの俵って違いですよね」。正雄がを指すと、井はを置いた。「正式には、寺の割当分俵というだ。内訳の扱いは町からそう説された」。正雄は納得できなかった。「でも、寺へ全部届いたっていてあります」。井は答える代わりに、窓のの庭を見た。子どもたちが寒さをこらえながら、踏み運をしていた。
「私も最初は納得できなかった」。井は机の引きしから封筒をした。には、寺の児童を受け入れるにあたって交わした類が入っていた。宿舎、事、医療、それぞれの配の責任者と、万その受け入れが続けられなくなったの連絡先がかれている。「町のたちは、京から来たおたちのためにくの部と働きをしてくださった。それを忘れるわけにはいかなかった」
正雄には分かることもあった。しのは夜遅くまで起きて、妙子の額をやしている。職の玄は寺の広を全部け渡し、自分は物置のような部で眠っていた。
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たかも学を休んで芋を洗ってくれたがある。だからといって、べるはずだった米が最初から減っていることを黙ってよいのだろうか。
「先は、僕らが腹を空かせていることをっていたんですね」。井はく「っていた」と答えた。「なぜ言わなかったんですか」。今度はしい沈黙があった。「私が説したら、先も仕方ないとったのだ、とおたちは受け取るだろう。それが怖かった」。正雄はその答えに腹がち、同にしくなった。先だって、正しいことをにするのが怖いのだ。
その午、妙子のが再びがった。町医者はもっと温かい部と滋養をつける事がると言い、に入りにくい薬についても尋ねた。しのは台所でを抱えた。病のために米を使えばほかの児童の分が減り、使わなければ妙子の体がっていく。正雄はべ物の記録をき、妙子がをすから事が減っていたことをもう度確かめた。
夕方、役の糧係である古川が寺へ来た。柄な男で、襟元にいつもきれいない布をのぞかせていた。古川は井へ「子どもが事を拒んだという報告は困る」と告げ、活が落ち着いているという文に署名するよう求めた。井が断ると、古川は声をやした。「このの受け入れを町で続けられるか、考え直すことになりますよ」
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正雄は障子の向こうでその言葉を聞いていた。受け入れをやめるとは、京へ戻ることなのか。京のは空襲で焼けているかもしれない。正雄の妹はまだ幼く、母から来るには「皆で元気にしています」としかいていない。正雄は初めて、寺にいられなくなることの恐ろしさをった。
古川が帰ったあと、井は類を机に残したまま妙子のところへ向かった。正雄はそのをのぞいた。寺への搬入証のには、次のの糧量を決める別の表がなっている。そこで正雄は信じられない数字を見つけた。来の児童数は「」ではなく「」とかれていた。減ったの名は、まだ寺ので元気に暮らしている子どもたちだった。
正雄はを握りしめ、廊へびした。「先、これ、どういうことですか」。井はを受け取った途端、顔を失った。「これは、まだ決まっていないはずだ」。正雄のろから節子と勇吉が集まり、削られるの名を読んだ。その最に、かられで寝ている妙子の名があった。
井は古川の置いていった封筒をいた。には赤い印が押されたい通が入っている。「より、寺内療養者および移転予定児童名を糧配分の計算から除する」。井は度も、そんな移転を申していない。
通のいちばんには、すでに承認済みの署名欄があり、そこにかれていたのは――井修平、という先自の名だった。