"昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由" 第3話
納の柱の傷
翌朝の空は、のるのようにかった。正雄は朝の掃除当番を引き受け、井に断って納の周りを掃いた。節子は本堂側の廊を拭きながら、教師がづいてこないか見張っていた。子どもたちにできるのはせいぜいその程度で、が使う帳面や倉の鍵に触れることなど許されていなかった。
納の柱には、子どもの背丈ほどのさまで細い傷が刻まれていた。正雄は最初、薪を積んだについた跡だとったが、よく見ると傷は本ずつひとまとまりになり、それが何組も続いている。の方にはいが残り、指でこすると糠の匂いがした。誰かが米俵の搬入数を、ここで数えていたらしい。
たかが箒を持ってやってきた。「そこを掃いたら、すぐ戻って」。彼女はいつもよりさな声だった。正雄は柱を指さした。「この傷、誰がつけたの」。たかはしばらく黙り、「にいた働きの」と答えた。「字が読めないだったから、忘れないようにつけたんだって」。
「最の傷は?」。正雄が尋ねると、たかは柱の番しい部分を見た。そこにはつの刻みがあり、うちつはほかより浅かった。「荷は俵って言ってた。でも寺にろしたのは俵だった」。たかの声は震えていた。「伯父さんは、残りは別へくんだから気にするなって」。正雄は妙子の話をいした。
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戻された俵はつだけではなかったのだろうか。
そこへ職の玄が姿を見せた。正雄は慌てて箒を握り直す。「朝から精がるな」。玄は柱の刻みを見て、顔の皺をくした。「寺が子どもを預かるのは初めてではない。だが、数をわせるためにを預かるのは、初めてのことだ」。そのを尋ねるに、鐘の音が響き、子どもたちは教へ戻らなければならなくなった。
授業、正雄は算術の帳面の余にとをいた。俵の差がどれほどの飯になるのか、まだ分からない。隣の郁夫は黒板を見ずに腹を押さえている。井が漢字を読みげる声を聞きながら、正雄はたちの言う「仕方がない」という言葉のに、俵もの米が隠れている気がした。
放課、正雄はほかのを寺の裏庭へ集めた。節子、松田勇吉、田島信子、そしていつも弟の面倒を見ているの辰夫。正雄が事を話すと、勇吉はすぐに「盗んでるんだ」と言ったが、節子は首を振った。「まだ誰の米か分からない。違っていたら、たかちゃんののが困るでしょう」。正雄はその言葉に頷いた。
そこで皆は、まず自分たちの椀を量ることにした。寺の台所にあるを借りることはできないため、節子が京から持ってきたさな裁縫箱を使い、同じきさの椀にどれだけ盛られているかを覚えて記す。
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ご飯の麦と米の割、噌汁の具、芋がた。毎の事を見比べれば、料が減り始めた期が分かるはずだった。
しのは子どもたちがも膳を片づけずにいるのを見て、眉をひそめた。しかし事を聞くとらず、「べ物を粗末にしないなら、好きにしなさい」とだけ言った。しのは疲れ切っていた。女がりず、煮炊きも洗濯も病もこなしながら、町から来る役には毎回「児童の健康は良好」と答えなければならなかった。
、節子の記録はなことを示した。事が減り始めたのは妙子が病気になるより、配達の曜が変わった頃からだった。さらに元の子が寺へ伝いに来るには、椀の数がつ増えるのに、炊く米の量は変わっていない。たかはその余った椀に根だけ入れてべ、しのは自分の飯を最初から盛らないさえあった。
正雄は井を訪ね、記録を差しした。「先、僕らの飯がないのは、妙子がべてるからじゃありません」。井は枚ずつ見て、いをかなかった。やがて「おたちが毎見ていたことは分かった」と言い、帳面を返した。「だが、これ以調べるのはやめなさい。寺だけの話では済まなくなる」。
その夜、正雄が布団に入ると、寝の入りにたかがっていた。彼女は誰も見ていないことを確かめて、さな片を差しした。
「これ、納の柱から剝がれて落ちてた。しい刻みの裏側に、もっと古い数字がいてある」。片の裏には鉛で、俵と俵、そして文字の名がかれていた。「戸倉作業所」。寺に来なかった俵は、そこへ運ばれていた。