"玄関のピンクのウサギ" 第1話
ピンクのウサギ
私は田島美、歳。正確には結婚しているの戸籍の姓は森本だったけれど、学の教師になってからずっと旧姓の「田島先」で通してきた。に定を迎えた直、息子の健夫婦に頼まれ、川町でまれたばかりの孫の世話を始めた。朝は保育園の送り、夕方は迎え、をせば病院、夫婦の帰りが遅いは夕と呂まで引き受けた。自分では「だけ」と決めていたが、気づけば季節が度巡っていた。
、連休の野へ私は予定よりく戻った。健が「今くらい父さんを驚かせてやれよ」と幹線の切符を取ってくれたからだ。夫の信之にはらせていない。駅でさな産を買い、タクシーの窓から懐かしい並みを見ながら、私はしだけ浮きっていた。、夫とは毎晩のようにビデオ通話をしていた。画面の向こうの部も、夫の声も、以と変わらないとっていた。
ところが玄関ので、最初の違が待っていた。暗証番号を押しても鍵がかない。もう度、ゆっくり入力しても赤いランプが点滅するだけだった。私は番号を違えるようなではない。をる、何度も指で確かめた桁だ。仕方なくインターホンを鳴らすと、から慌ただしい音がして、やがて信之が扉を細くけた。
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「美……どうして帰ってきたんだ」
驚かせるつもりだったのはこちらなのに、夫の顔はびより先に青ざめた。しかも、玄関から流れてきたのは私のらない煮物の匂いだった。私は黙って靴を脱ぎ、たたきに目を落とした。そこにあったのは、私の古びた赤いビニールスリッパではなかった。い桃の布にいウサギのが縫いつけられた、若々しい内履きが揃えて置かれていた。
「それ、誰の?」
信之が答えるよりく、台所から女が顔をした。代くらい。髪をろでまとめ、私が選んだエプロンをにつけている。しかもには、夫婦で使っていた湯のみを持っていた。女は瞬固まったが、すぐに作り笑いを浮かべた。
「奥さま……ですよね。初めまして。綾乃と申します。の階にんでいた者です」
“んでいた”。過形がに引っかかった。信之は慌てて「片付けを伝ってもらってるだけだ」と言ったが、私は玄関の奥に見えるものをつずつ見た。見慣れない女性用の傘。柄の買い物袋。分の歯ブラシ。靴箱の端に置かれた化粧品の袋。そして私がに畳んでしまったはずの来客用布団が、廊の先で常に使われているように崩れている。
「暗証番号、いつ変えたの?」
「管理会社が防犯のために――」
「管理会社が斉に変えるなら、名義の私にも連絡が来るわよ」
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信之はそこで言葉を失った。私は鳴らなかった。教師をしていると、嘘をついた徒が次にどんな顔をするか、嫌でも分かる。線をそらす。言い訳を探す。相の嫌を取ろうとする。今の夫は、まさにその顔だった。
「さん。ここに来るようになって、どのくらいですか」
私が尋ねると、綾乃は夫を見た。信之はさく首を振ったが、遅かった。
「……もうすぐです」
その言で、信じていたものが音をてて崩れた。私は孫の世話をしていたのうち、なくとも、この女が私のを入りしていた。そしてたぶん、“入り”では済まない。
私は玄関のピンクのウサギをもう度見た。の結婚活で、信之が私に買ってくれた内履きは、スーパーのワゴンに積まれていた百円の赤いビニール製だけだった。その夫が今、別の女のために、こんな柔らかい布のスリッパを置いている。
「なるほど」
それだけ言って、私は靴を履き直した。
「美、どこへくんだ。話を聞いてくれ」
「聞くわよ。でも今はここでは聞かない」
振り返った、信之の顔に初めて本物の恐怖が浮かんだ。私が泣きも鳴りもしなかったからだとう。
私は扉のへながら、静かに言った。
「の午。結婚関係の類と、このの権利を全部しておいて」
その瞬、綾乃のから湯のみが滑り、に鈍い音をてた。